神野お茶屋

神野お茶屋

佐賀県佐賀市にある都市公園、神野公園(こうのこうえん)は、佐賀藩10代藩主・鍋島直正の別邸「神野御茶屋」があった場所。大正12年に鍋島直映が佐賀市に寄贈し、神野公園として公開されていますが、往時の別邸の建物が神野お茶屋です。

聡明な藩主・鍋島直正が築いた別荘

神野公園の大池の北に建つ神野お茶屋は、佐賀藩10代藩主で閑叟(かんそう)と号した鍋島直正(なべしまなおまさ/明治4年没)が弘化3年(1846年)に築いた別荘。
鍋島直正は、後世「蘭癖大名」(らんぺきだいみょう=長崎出島から蘭学が伝わった九州には傾倒した大名が多数)と呼ばれるまでに熱心に蘭学を学び、アームストロング砲など最新式の西洋式大砲や鉄砲の自藩製造に成功した聡明な藩主。

磁器生産の拡大などによる藩財政改革、藩校弘道館を拡充し優秀な人材を育成するなどの教育改革、農村進行などにも尽力し、「佐賀の七賢人」(鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信)にも数えられています。

鍋島直正の別邸として建てられた神野お茶屋は、木造平屋、寄棟造り、藁葺き屋根の1棟と、四方廻屋根(しほうまわりやね)、藁葺きの1棟の合わせて2棟からなり、瓦葺きの廊下で連絡されています。
四方廻屋根は、方形に畳の間4室を配し、中央に庭がある特殊な構造。
玄関には千鳥破風があり、藩主の別邸の格式をみせています。

8畳から20畳までの7部屋があり、お茶会などに使われています。

意外に質素な建物で、樹木や庭石などは藩士が持ち寄ったとされることから、藩財政改革に尽力した鍋島直正の姿勢をも窺い知ることができます。
ちなみに、建物が完成した弘化3年(1846年)には、佐賀藩内で天然痘が大流行したため、鍋島直正は領内で種痘を実施し、その伝播を防いでいます(佐賀藩江戸藩邸に送られた痘苗から、牛痘法は関東以北の各地に展開)。
また、城内にあった聖堂を松原小路の藩校・弘道館に移転し、藩校の拡充を開始した時期にもあたります。

神野お茶屋
名称 神野お茶屋/こうのおちゃや
所在地 佐賀県佐賀市神園4-1-3
関連HP 佐賀市公式ホームページ
電車・バスで JR佐賀駅から佐賀市営バス医大行きで5分、神野公園下車、すぐ
ドライブで 長崎自動車道佐賀大和ICから約7.6km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 神野お茶屋 TEL:0952-30-5681
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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