静岡県湖西市新居町にある全国で唯一現存する関所建物で、国の特別史跡に指定されているのが新居関所、新居関所史料館を併設しています。慶長5年(1600年)、関ヶ原合戦直後に徳川家康によって舞坂宿(静岡県浜松市西区)と新居宿(静岡県湖西市)の間、浜名湖岸に設置された関所です。
江戸時代の関所役人の取り調べも再現
当初は今切の渡しのあった今切(遠州灘の浜名湖開口部)近くにあったので、「今切の関所」と呼ばれていましたが、元禄12年(1699)年、高潮のために移転、さらに宝永4年(1707年)の地震や津波被害のため、現在地に移転しています。
現存する「面番所」の建物は嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に発生した安政東海地震翌年の安政2年(1855年)に再建されたもの。
関所役人の取り調べの様子を再現した部屋が外から見学可能。
隣接して建つ新居関所史料館では、江戸を守るために新居関所を設置した経緯なども詳しく解説し、道中絵図や通行手形などを展示し、年3回ほど特別展も開催。
往時には、浜名湖の湖口に面し、渡船場も併設されていましたが周辺が埋め立てられ景観は大きく変貌しています(渡船場は復元)。
平成26年の発掘調査では、大御門や土塁の遺構が出土した桝形(ますがた)広場が国の文化財に追加指定され、大御門、関所を通行する女性を取り締まる改女(あらためおんな)の住居「女改之長屋」(おんなあらためのながや)と船会所などが復元されています。
新居宿には紀州藩の御用宿だった紀伊国屋が現存し、新居宿旅籠紀伊国屋資料館として公開されているのであわせて見学を。
「入鉄砲と出女」だけでなく、「入り女」も監視!
幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」(「鉄砲手形」と「女手形」を重点とした取締)、つまり、江戸に入る鉄砲などの武器の規制、そして参勤交代で人質として大名の妻子などを江戸に住まわせていたこともあって、江戸から出る女性に対しては厳しく取り締まりを行ないました。
しかも、東海道の要衝である浜名湖の西岸に位置する新居関所に限っては、さらに厳重で、江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、少しでも不備が見つかれば関所の通行が認められないという厳しいものでした。
出所違い(手形の発行者が違う)、印鑑違い(関所保管の印鑑と違う)、記載違い、記載漏れはもちろん、汚れがある場合にも手形は差し返されてしまうほどの厳しいもので、雨などに濡らすこともできない、大切なものだったのです。
厳しい詮議や浜名湖の渡船を避けて、女性の旅人は、北岸の気賀、三ケ日を抜ける脇往還の本坂越を利用したので、本坂越は姫街道とも呼ばれています(気賀に気賀関所が置かれていました)。
復元された女改之長屋(おんなあらためのながや)には、関所を通過する女性を改める改女とその家族が居住した長屋で、2家族が交代制で勤務していました。
内部は改女の説明や復元の経緯を紹介した展示スペースになっているので、ぜひ見学を。
新居関所・新居関所史料館 | |
名称 | 新居関所・新居関所史料館/あらいせきしょ・あらいせきしょしりょうかん |
所在地 | 静岡県浜名郡新居町新居1227-5 |
関連HP | 新居関所・新居関所史料館公式ホームページ |
電車・バスで | JR新居町駅から徒歩8分 |
ドライブで | 東名高速道路浜松西ICから約16km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 新居関所史料館 TEL:053-594-3615 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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