妙法寺
兵庫県神戸市須磨区にある高野山真言宗の寺、妙法寺。神戸市営地下鉄に妙法寺駅という駅名がありますがその駅名の由来となる寺。天平10年(738年)、行基開基と伝わる古刹で、本尊・木造毘沙門天立像は平安時代の作で国の重要文化財…
兵庫県神戸市須磨区にある高野山真言宗の寺、妙法寺。神戸市営地下鉄に妙法寺駅という駅名がありますがその駅名の由来となる寺。天平10年(738年)、行基開基と伝わる古刹で、本尊・木造毘沙門天立像は平安時代の作で国の重要文化財…
兵庫県神戸市兵庫区切戸町にある弘安9年(1286年)の年号が刻まれた高さ8.5mの十三重の塔が清盛塚(兵庫県の文化財)。石塔の隣に平清盛像と、平安貴族が愛用した楽器・琵琶(びわ)の名手・平経正(たいらのつねまさ)の琵琶塚…
兵庫県神戸市兵庫区にある高野山真言宗の寺、金光寺(こんこうじ)。承安3年(1173年)、隆善法師が創建した寺で、本尊が大輪田泊修築の際、平清盛が引き揚げたという金色(こんじき)に輝く薬師如来であることから「兵庫の薬師さん…
兵庫県神戸市兵庫区熊野町に鎮座する平清盛ゆかりの社が、熊野神社。平清盛が福原遷都に際し皇城鎮護の神として勧請したのが当時宮中で信仰されていた熊野権現。地元では「夢野の権現さん」と江戸時代まで(神仏分離以前)の呼称が残され…
兵庫県神戸市兵庫区にある平清盛(たいらのきよもり)ゆかりの社が厳島神社(兵庫弁天)。治承4年(1180年)、福原遷都に際して、平清盛は安芸国(広島県宮島)・厳島神社の分霊を勧請して創建、福原での平家一門の氏神とし、平家、…
兵庫県神戸市兵庫区七宮町に鎮座する古社が、七宮神社(しちのみやじんじゃ)。主祭神である大己貴命(おほなむちのみこと)は、大国主命、大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国王神の7つの別名、7つの神徳をもつことが名の由…
兵庫県神戸市兵庫区にある時宗の寺、薬仙寺。天平年間(729年~748年)行基の開山と伝わる古刹で、往時には天台宗でしたが、延文年間(1356年~1360年)に京の霊山国阿(時宗8世)が中興し、時宗に改宗しています。後醍醐…
兵庫県神戸市兵庫区島上町にある浄土宗西山派の寺、来迎寺(築島寺)。かつては三川口(兵庫区三川口町)の島にあり、経島山という山号から旧寺地が平清盛が築いた経ヶ島とも推測できる古刹です。その際、人柱となった松王の墓所として創…
兵庫県神戸市兵庫区にある時宗の古刹が真光寺(しんこうじ)。仁明天皇(833年~850年)の時代に唐に渡った恵萼(えがく)が創建したと伝えられる古刹。建治2年(1276年)、一遍上人が観音堂に住んで、中興開祖となっています…
兵庫県神戸市兵庫区にある古社、和田神社(わだみや)。社伝によれば蛭子大神が淡路島から本土に渡るとき、上陸したのが和田岬で、蛭子の森(現社地の西800m)に祀られたのが始まり。日宋貿易で栄えた兵庫津(現在の神戸港)に平清盛…
兵庫県神戸市兵庫区雪御所町にある湊山小学校一帯は、平清盛の雪見御所跡。平清盛は仁安2年(1167年)、太政大臣をわずか就任3ヶ月で辞して能福寺(のうふくじ)で出家し隠居。本宅は京に残し(西八条第=現在の梅小路公園一帯にあ…
従一位太政大臣にまでのぼりつめた平清盛(たいらのきよもり)。娘・徳子を高倉天皇に嫁がせ、壇之浦で水に身を投げた安徳天皇が産まれています。山口県下関市の南端の島、彦島(ひこしま)の杉田丘陵にあるのが清盛塚。彦島には寿永3年…
中世の日本を代表する建築物といえば、その筆頭が安芸の宮島(広島県廿日市市)にある厳島神社。世界文化遺産にも登録される厳島神社は、仁安3年(1168年)頃、出家後に日宋貿易の拡大を図る平清盛が現在と同様の社殿を造営したもの…
広島県呉市の南端と倉橋島の間の細い海峡が音戸の瀬戸。干潮時には陸続きになるような浅瀬を平清盛が掘削を命じ、船の航行が可能になったと伝えられています。現在の瀬戸は昭和になってから国が開削したもので、幅70m、深さ5m。呉市…
平清盛が西の海に沈む夕陽を、金の扇で呼び返し、一日で切り開いたという伝説が残るのが広島県呉市の本州と倉橋島を隔てる音戸の瀬戸。古来から瀬戸内海航路の要所で、潮の流れが速い難所として有名。幅70mという海峡ながら、「瀬戸内…
厳島神社の舞楽は、平安時代末期、平清盛が四天王寺から伝えたものといわれており、現在、厳島神社の高舞台で演じられている楽曲は、振鉾(えんぶ=舞台を清める舞/一節は左、二節は右、三節は左右の舞人)や有名な『蘭陵王』など18曲…
日本三景のひとつ安芸(あき=広島県西部の旧国名)の宮島にある厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、社伝によれば推古元年(593年)創建と伝えられる古社。久安2年(1146年)に平清盛が現在の海に浮かぶような社殿の造営を行なっ…
厳島神社の社殿裏手を流れる御手洗川(みたらいがわ=紅葉谷川)。その名の通り往時にはここで禊をして、厳島神社に参拝したと推測できますが、土石流が発生しやすい川で、花崗岩の砂が河口へと流され江戸時代以降、徐々に延びていったの…