島原港駅
長崎県島原市下川尻町にある島原鉄道の終着駅が、島原港駅(しまばらこうえき)。昭和35年11月11日に島原外港駅として開業した島原鉄道では比較的に新しい駅ですが、平成20年4月1日に島原港駅〜加津佐駅間が廃止され、終着駅に…
長崎県島原市下川尻町にある島原鉄道の終着駅が、島原港駅(しまばらこうえき)。昭和35年11月11日に島原外港駅として開業した島原鉄道では比較的に新しい駅ですが、平成20年4月1日に島原港駅〜加津佐駅間が廃止され、終着駅に…
長崎県島原市有明町にある島原鉄道(諫早駅〜島原港駅)の駅が、大三東駅(おおみさきえき)。相対式ホーム2面2線を有する無人駅で、下り線・島原港駅方面行きホームは、有明海に面していて、古部駅などとともに「日本一海に近い駅」の…
長崎県島原市にある島原鉄道(諫早駅〜島原港駅)の駅が、島原駅(しまばらえき)。大正2年9月24日開業という歴史ある駅で、島原市の玄関駅。平成元年完成の現在の駅舎は島原城大手門をモチーフにしたものです(島原城の大手枡形は、…
長崎県島原市中堀町、島原城の城下町の一画にある曹洞宗の寺が、江東寺(こうとうじ)。永緑元年(1558年)創建の寺で、島原城を築いた松倉重政(まつくらしげまさ)、島原の乱で戦死した板倉重昌(いたくらしげまさ)の菩提寺。境内…
「水の都」と呼ばれ、市内各所に湧水のある長崎県島原市。なかでも新町一帯は、とくに湧き水が豊富で、1日1万tが湧出。町を流れる水路には鯉が放たれ、「鯉の泳ぐまち」として有名。その「鯉の泳ぐまち」にある無料休憩所が、しまばら…
長崎県島原市本光寺町にある島原藩主・深溝松平家の菩提寺が本光寺。松平忠房(まつだいらただふさ)が島原城主となって20年目の元禄2年(1689年)、希声英音和尚によって開山され、深溝松平家の菩提寺となった寺。寺がある場所は…
長崎県島原市は、古くから「水の都」と呼ばれ、雲仙山系からの伏流水が市内随所に湧出し、「島原湧水群」として環境省の「名水百選」にも選定されています。市内でも新町一帯は、とくに湧き水が豊富で、1日1万tが湧出。市民が鯉を放流…
長崎県島原市、島原城下の島原武家屋敷通りは、扶持(ふち=米での給与)取り70石以下の島原藩の下級武士たちの住居が建ち並んだエリア。島原城外郭の西側に位置し、島原藩の徒士屋敷(かちやしき/徒士=下級武士で足軽の上)が下の丁…
長崎県島原市平成町、島原半島ジオパークのビジターセンター的な存在の施設が雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)。平成2年11月、198年ぶりに活発な火山活動を行ない、平成8年6月の噴火終息宣言に至るまで、普賢岳で何が起きたの…
長崎県島原市新山にある潜伏キリシタンなどを処刑にした刑場跡が今村刑場跡。島原城下の南端で、寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)による土石流で、埋まるま…
長崎県島原市湊町、熊本港へのフェリー、三池港への高速船が発着する島原外港にある島原温泉を飲泉した公園が島原温泉泉源公園。観音島公園の一角に築かれた園地で、無料で24時間利用できる足湯は島原温泉掛け流しとなっているほか、飲…
長崎県島原市の島原外港と熊本県熊本市の熊本港を結ぶ九商フェリー、熊本フェリー(高速フェリー)、福岡県の三池港(大牟田市)を結ぶ、やまさ海運(三池島原ライン/車の航送は不可)が就航する港が島原港フェリーターミナル。島原湾に…
長崎県島原市萩原にある島原藩町年寄(古町別当)の中村家の屋敷門が中村家別当屋敷門。往時には中堀町(島原市中堀町159-3/エレナ一番街店)にありましたが、開発で萩町に移転しています。元治元年(1864年)2月、島原に上陸…
長崎県島原市にある島原藩主・松平忠誠(まつだいらただなり)が幕末に築いた御薬園跡が旧島原藩薬園跡。奈良の森野旧薬園(森野吉野葛本舗/奈良県宇陀市)、鹿児島の佐田旧薬園(鹿児島県肝属郡南大隅町)とともに「日本三大薬園跡」の…
長崎県島原市万町、中央街アーケードにあるのが島原湧水群・しまばら水屋敷。明治5年に島原の豪商・中山要衛門が建てた屋敷を平成7年に茶房として再生したもの。擬洋風建築の2階部分は明治30年頃の増築。庭にある池から1日4000…
長崎県島原市中堀町、島原市街の中心、水頭通り(みずがしらどおり)に昭和16年に地元住民の掘った共同井戸が島原湧水群・水頭の井戸。昭和63年に長崎県「新活力のあるまちづくり推進事業」で井戸の周囲にポケットパークが整備されて…
長崎県島原市上の町、明治10年創業の猪原金物店(いのはらかなものてん)。国の登録有形文化財に指定の建物は、万延2年(1861年)の築。「茶房&ギャラリー速魚川」も併設され、広い駐車場とともに島原の立ち寄りスポットとなって…
長崎県島原市の市街地にある小さな湖が白土湖。寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)で、寺の墓地だった一帯が陥没し、大量の地下水が湧出して湖が誕生したもの…