若宮八幡社
愛知県名古屋市中区栄にある大宝年間(701年~704年)に創建と伝わる古社、若宮八幡社。八幡宮ではなく若宮八幡というのは、八幡宮の祭神である応神天皇の息子・仁徳天皇を祀る神社ということ。往時には現在の名古屋城三の丸(那古…
愛知県名古屋市中区栄にある大宝年間(701年~704年)に創建と伝わる古社、若宮八幡社。八幡宮ではなく若宮八幡というのは、八幡宮の祭神である応神天皇の息子・仁徳天皇を祀る神社ということ。往時には現在の名古屋城三の丸(那古…
福井県坂井市、北前船の寄港地として繁栄した三国湊(三国港)の有力問屋が軒を連ねた旧元新町にある洋風銀行建築が旧森田銀行本店。中世以来続く三国の豪商・森田家が廻船業に見切りをつけ、明治27年、いち早く銀行業などに転身をはか…
永禄3年5月19日(1560年6月12日)、織田信長が今川義元を討ったとされる桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)が行なわれた桶狭間古戦場は豊明市から名古屋市緑区にかけての一帯ですが、桶狭間の戦いの決戦の地というのは特定…
武田家滅亡の始まりともいえる長篠の戦い。愛知県新城市、新東名高速道路・長篠設楽原パーキングエリア近くの茶臼山(ちゃうすやま)にあるのが長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)の織田信長戦地本陣跡。織田信長は長…
現在の愛知県新城市を舞台にした長篠の合戦の激戦地、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)。武田軍のは精鋭の騎馬隊を誇りましたが、織田・徳川連合軍は、設楽原中央を流れる連吾川の西岸に馬防柵を2kmに渡って築き…
天下統一を目前とした織田信長が、NHK大河ドラマ第59作『麒麟がくる』の主人公となった明智光秀の謀反により夢半ばにして自刃した寺が本能寺。往時の本能寺は「本能寺の変」で焼失し、現在の本能寺は豊臣秀吉によって移転、再建され…
滋賀県多賀町の多賀大社近く、名神高速道路を見下ろす敏満寺(びんまんじ)山の上にあり、青龍山(せいりゅうざん)の巨石信仰が信仰のルーツという古社、胡宮神社(このみやじんじゃ)。祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこ…
2024年11月2日(土)~11月3日(日・祝)10:00~16:00、岐阜県岐阜市で『岐阜市産業・農業祭~ぎふ信長まつり~』を開催。現在の岐阜の町の基礎を築いた信長の偉業を偲ぶ恒例の秋祭り。メインイベントは、織田信長や…
2024年7月27日(土)~7月28日(日)、愛知県津島市で『尾張津島天王祭』が行なわれます。近世まで津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)と呼ばれた津島神社の祭事で、酷暑の夏に、疫病が流行しないように祈願する祭りで東…
毎年6月第1日曜10:00〜15:00、滋賀県近江八幡市安土町で『あづち信長まつり』が開催されます。織田信長は、天正10年6月2日(1582年6月21日)、京の本能寺で没。旧暦6月2日にちなみ、毎年6月の第1日曜日に開催…
国産鉄砲の歴史は定かでありません。戦国時代に種子島に漂着した南蛮船(ポルトガル人)がもたらしたという鉄砲(火縄銃)。長篠の合戦で使われた鉄砲のうち、500挺は、近江国・国友(滋賀県長浜市国友町)の製造。中世に鉄砲の一大工…
2024年3月16日(土)~3月17日(日)、近江八幡市の日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)で『左義長まつり』が行なわれます。国の無形民俗文化財に指定された「近江八幡の火まつり」のひとつで、近江八幡での左義長は、豊臣秀次…
貞観2年(860年)創建の古社で、京都府八幡市の木津・宇治・桂の三川の合流点を眼下にする男山の山頂に鎮座し、大分の宇佐神宮(宇佐八幡宮)、福岡の筥崎宮とともに日本三大八幡宮(鎌倉・鶴岡八幡宮を加える場合も)に数えられるの…
西明寺、百済寺(ひゃくさいじ)とともに湖東三山のひとつで、741年(天平13)に聖武天皇の勅願で行基が開山、嘉承年間(848年〜851年)に円仁(慈覚大師)が再興した天台宗の古刹が、滋賀県愛荘町の金剛輪寺。本堂・大悲閣は…
伊勢路と美濃路が合流し、京と尾張を結ぶ交通の要衝に位置した甚目寺(じもくじ/愛知県あま市)。寺伝によれば推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師・甚目龍麿(はだめたつまろ)が観音像を網で引き揚げ堂を建て安置したのが始まりと…
岐阜市にある真言宗醍醐派の寺、岐阜善光寺。天正10年(1582年)3月、武田家の滅亡により、当時、信州から甲斐(甲府)の善光寺に遷されていた善光寺の秘仏(善光寺如来=阿弥陀三尊仏)を織田信長は岐阜城下に運びます。本能寺の…
岐阜市にある14世紀末頃に創建、永正8年(1511年)、斎藤利匡(さいとうとしまさ)が再興した(開山は独秀乾才)臨済宗妙心寺派の寺、崇福寺(そうふくじ)。永禄10年(1567年)、織田信長が斎藤道三の孫の斎藤龍興を亡ぼし…
明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変。信長が上洛の際に宿所としていた本能寺は、本能寺の変当時は現在の寺町御池ではなく、堀川四条近く、油小路通蛸薬師にありました。「本能寺跡」石碑、「此附近本能寺址」石柱も立っています…