新大橋

隅田川をまたぐ新大橋通り(東京都道・千葉県道50号東京市川線)に架かる橋。中央区日本橋浜町2・3丁目と江東区新大橋1丁目を結ぶ橋で昭和52年に完成。もともとは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)に当時「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられました。架橋の回数は江戸時代に20回を超えています。

江戸時代の新大橋は現在の100mほど下流に

幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、隅田川に橋が少なく不便を強いられていた江戸庶民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられ、西岸の水戸藩御用邸、東岸の幕府御用船「安宅丸」の係留地を橋詰としています。

深川に「芭蕉庵」を構えていた松尾芭蕉は、新大橋の工事中で完成間近の1694(元禄6)年冬、「初雪や懸けかかりたる橋の上」、完成直後に「ありがたやいただいて踏むはしの霜」と詠んでいます。

明治維新後は、明治18年に新しい西洋式の木橋となり、さらに明治45年にピントラス式の鉄橋となり、橋の上を東京市電が通りました。
その橋の一部は、愛知県犬山市の博物館明治村に移築保存されています。
また、江東区新大橋1丁目側の東詰公園には旧新大橋の橋柱が保存されています。

明治45年架橋の橋は、関東大震災の際にも焼け落ちることがなく、多くの人命を救ったことから「人助け橋(お助け橋)」と呼ばれています。

現在の橋は、全長170.0m、幅24mのシンプルなデザインの斜張橋。
夜間はライトアップされ、隅田川テラスなどからその美しい姿を鑑賞することができます。

歌川広重『名所江戸百景』に描かれた 新大橋

歌川広重『名所江戸百景』で新大橋を描いているのが「大はしあたけの夕立」。
幕府の御用船「安宅丸」の船蔵があったことから、安宅(あたけ)と呼ばれていました。
幕末の1856(安政3)年、歌川広重の最晩年に手がけた一大連作が『名所江戸百景』で、降りだした夕立に、傘や蓑をつけて足早に急ぐ人々の姿が描かれており、最高傑作といわれています。

この作品が、後期印象派の画家・ゴッホに強い印象を与え、ゴッホが模写したことでも有名な一枚となっています。

江戸切絵図に見る 新大橋

新大橋
名称 新大橋/しんおおはし
所在地 東京都中央区日本橋浜町2・3丁目・江東区新大橋1丁目
電車・バスで 都営大江戸線・都営新宿線森下から徒歩3分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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