東京都新島村、式根島は、新島の属島の扱いで(現在も行政的には新島村で、伊豆七島にも数えられません)、江戸時代は無人島。明治21年、新島から4世帯8人が移住して開島。 昭和11年、式根島の開島50周年となることを記念して建立されたのが式根島開島記念碑です。
明治21年11月、4世帯8人が新島から移住
式根島には吹之江遺跡(ヘリポート)、石白川遺跡など、縄文時代の中期の遺跡が見つかっていることから、6500年ほど前から人々が定住していたことがわかっています。
古代の遺跡は見つかっていますが、中世、近世を通じて、式根島に定住した遺構は発見されていません。
江戸時代にも式根島には定住者はなく、泊海岸などが流人を新島、八丈島に運ぶ際の仮泊の湊(みなと)として、そしてアシカ猟や漁師の漁場になっていました。
江戸時代初期、新島の塩木山(釜で塩を煮詰めるために使う木材を産する山)が切り尽くされ、式根島の釜の下海岸で10年間にわたり、年貢の製塩が行なわれた記録もあります。
明治になって、式根島の開拓を条件に新島への帰属が認められ、明治11年1月11日、伊豆諸島が静岡県から東京都へ移管され、ようやく明治21年、3家族と単身1名の4世帯8人が新島から移住したのが式根島の開島ということになります。
生活用水を天水(雨水)に頼る生活だったので、明治23年から3年の歳月をかけて、まいまいず井戸を完成させています。
井戸の完成後、クサヤ加工や鰹節製造(カツオ漁の最盛期でした)が行なわれるようになり、井戸数が増えるとともに人口も増加し、明治35年には戸数30戸に増加、大正8年には新島との間を定期船「日航海」が結ぶようになりました。
昭和11年には東京湾汽船(東海汽船の前身)が式根島温泉ホテルを開業し、観光客を呼ぶようになったのです。
ちなみに式根島開島記念碑が、まいまいず井戸の向かいに立っているのは、一帯が式根島開拓の中心だから。
式根島開島記念碑 | |
名称 | 式根島開島記念碑/しきねじまかいとうきねんひ |
所在地 | 東京都新島村式根島 |
電車・バスで | 式根島港から徒歩7分 |
ドライブで | 式根島港から約500m |
問い合わせ | 式根島観光協会 TEL:04992-7-0170/FAX:04992-7-0448 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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