東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池を源流に、両国橋脇の柳橋で隅田川に合流する一級河川が、神田川。かぐや姫の『神田川』はフォークソングの代表曲としても知られますが、御茶の水周辺が舞台ではなく、東中野(中野区)あたりだといわれています。
神田川流れるお茶の水の谷は、仙台藩開削の人工の谷
天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入府に際し、大久保 忠行(おおくぼただゆき)が井の頭池(現・井の頭恩賜公園)、善福寺池(善福寺公園)などの水を集め、神田上水を整備し、江戸市中に流しました。
当時は平川と呼ばれ、豊嶋郡と荏原郡との境界を流れる大川でしたが、元和6年(1620年)、2代将軍・徳川秀忠の命を受け、仙台藩主・伊達政宗が飯田橋から秋葉原(和泉橋)まで、本郷台地(神田山)開削を行ない、江戸城の外堀としての機能をもたせたのです。
さらに伊達綱村の時代となる万治4年(1661年)に完成した拡張工事で、舟を飯田橋堀(現・飯田橋駅近く)まで上らせることができるように進化(旧・平川は掘割として残し内堀に)。
お茶の水界隈で神田川が茗渓(めいけい)と呼ばれる峡谷になっているのは、かつての本郷台(鎌田山)を切り裂き、本郷湯島台と神田駿河台とを分かつ掘割だから。
江戸時代の開削当初は、お茶の水周辺の掘割から河口までが神田川で、最上流は神田上水、飯田橋までを江戸川と呼んでいました(昭和39年に河川法改正で、井の頭池〜隅田川・24.6kmが神田川となりました)。
流路となるのは、三鷹市、杉並区、中野区、新宿区、豊島区、文京区、千代田区、台東区、中央区の1市7区です。
仙台藩の弱体化を狙って命じられたとも推測する掘割工事ですが、誕生した堀を仙台堀と呼んだという説もありますが、史料での裏付けはありません。
また、現在では神田川を「かんだがわ」と呼んでいますが、江戸時代に神田川上水に上水道を頼っていた人々は、濁ってはまずいということで、「かんたかわ」と呼んでいたのだとか。
昌聖橋上から神田川を渡る東京メトロの電車と堀を走る中央線は、かつて乗り物絵本などにも描かれた「近代都市・東京」を代表するシーンでした。
水道橋という地名・駅名は、神田川を渡る、神田上水の水道橋に由来し、神田川の文京区側に神田上水懸樋跡の碑が立っています。
神田川 | |
名称 | 神田川/かんだがわ |
所在地 | 東京都三鷹市、杉並区、中野区、新宿区、豊島区、文京区、千代田区、台東区、中央区 |
関連HP | 東京観光財団公式ホームページ |
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