飛鳥山公園・旧渋沢庭園

飛鳥山公園・旧渋沢庭園

東京都北区、王子駅前の高台に広がる飛鳥山公園。その一画にあるのが旧渋沢庭園で、近代日本経済の父といわれる渋沢栄一が明治12年から亡くなる昭和6年まで暮らした場所。明治時代に建てられた本館は空襲で焼失していますが、大正時代築の青淵文庫(せいえんぶんこ)、晩香廬(ばんこうろ)が現存しています。

飛鳥山にあった渋沢栄一の邸宅・庭園の跡

飛鳥山公園・旧渋沢庭園
大正14年築の青淵文庫が現存

渋沢栄一は、明治維新後、「知識なくして興隆なし」という理念で、新聞、雑誌を印刷する洋紙の国産化が急務だと考え、明治5年、抄紙会社(しょうしがいしゃ/後の王子製紙、現・王子ホールディングス)を王子に創立。
王子を選んだのは、千川用水が慶応元年(1865年)、飛鳥山の西側に幕府の大砲製造所を築いたことで、王子分水を伸ばしたことから大量のきれいな水を得られること、墨田川や荒川といった大型河川に通じる水運が整っていること、洋紙の原材料であったボロ(破布)が入手可能で、洋紙の消費地にも近かったという利点が揃っていたから。

王子の抄紙会社は、明治8年に稼働していますが、渋沢栄一は工場を眼下にする飛鳥山に、まずは明治12年、別荘を構え、内外の賓客を招く館として活用、さらに飛鳥山をこよなく愛したことから、明治34年から亡くなる昭和6年までは家族と過ごす日常の生活の場にもしたのです。
明治12年、アメリカのグラント将軍(Ulysses Simpson Grant/幕末にアメリカを訪問した岩倉使節団と会見、訪日時は第18代アメリカ合衆国大統領退任後)が国賓として2ヶ月ほど日本に滞在していますが、その際に、渋沢栄一の別荘にも訪れています。
8月1日に、横浜に居留していた外国人が主催した宴会で、渋沢とグラントは顔を合わせていいますが、8月3日の接待委員の会議で、西洋では個人宅で客人をもてなすことこそが親愛の証になるということが議論され、急遽、8月5日に飛鳥山の渋沢の新居にて、歓迎会が催されることになったのです(料理は明治5年創業、上野精養軒が提供)。

令和3年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』でも渋沢栄一別荘でアメリカ前大統領グラントを歓待する様子が描かれています。

庭園の作庭は、新潟三大財閥・齋藤家の迎賓館「旧齋藤家別邸庭園」も手掛けた2代目・松本幾次と松本亀吉(初代・松本幾次の三男)。
明治11年に初代・松本幾次が別邸の庭に関わり、明治34年の本邸建設時に2代目・松本幾次と松本亀吉が改修しています。
渋沢栄一がパトロンとなって、松本幾次を支援し、渋沢栄一の友人の庭なども数多く手掛けています。

その居館は「曖依村荘」と呼ばれ、日本館と西洋館からなる本館がありましたが、空襲で焼失し現存していません。
大正時代に建てられた渋沢栄一の書庫で接客の場だった青淵文庫(せいえんぶんこ)、洋風茶室「晩香廬」(ばんこうろ)が現存し、国の重要文化財に指定。
飛鳥山公園内にある渋沢史料館の一部として公開されています。

ちなみに、渋沢栄一は、昭和6年11月11日、老衰(満91歳)で没。
墓所は谷中霊園(台東区)にあります。

飛鳥山公園・旧渋沢庭園
飛鳥山公園・旧渋沢庭園
昭和11年当時の渋沢邸「曖依村荘」
飛鳥山公園・旧渋沢庭園
名称 飛鳥山公園・旧渋沢庭園/あすかやまこうえん・きゅうしぶさわていえん
所在地 東京都北区西ヶ原2-16-1
関連HP 飛鳥山3つの博物館公式ホームページ
電車・バスで JR・東京メトロ南北線王子駅から徒歩7分
ドライブで 首都高速王子北ランプから約1.6km
駐車場 21台/有料
問い合わせ 渋沢史料館 TEL:03-3910-0005
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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