渋沢栄一墓所(谷中霊園)

渋沢栄一墓所(谷中霊園)

東京都台東区谷中7丁目、谷中霊園のなかにあるのが、渋沢栄一墓所。昭和6年11月11日、渋沢栄一は飛鳥山の「曖依村荘」(あいいそんそう)と呼ばれた自邸(跡地が飛鳥山公園・旧渋沢庭園)で91年の生涯を終え、渋沢家墓所に眠っています。

谷中霊園、徳川慶喜の墓近くに眠る渋沢栄一

渋沢栄一の墓は、谷中霊園の乙11号1側にある渋沢家墓所で、正面から少し右側に見える墓碑。
法名は、泰徳院殿仁智義譲青淵大居士で、墓碑にも「青淵澁澤榮一墓」と刻まれています。

青淵(せいえん)は、渋沢栄一の雅号で、富岡製糸場の初代場長で、学問の師でもあり従兄弟(いとこ)の尾高惇忠(おだかあつただ)からもらったもので、渋沢栄一の生家裏手に水が湧き出る美しい淵があったことにちなんで名付けたとのこと。
深谷市にある渋沢栄一生家「中の家」(なかんち)裏手の青淵公園に、「青淵由来之跡」の碑が立っています。

元治元年(1864年)、若き日の渋沢栄一は、京で徳川慶喜(一橋慶喜)に仕官しています。
徳川慶喜は、明治維新後、渋沢栄一が関係した、第一国立銀行、第十五国立銀行、第三十五国立銀行、日本鉄道、浅野セメント、日本郵船、大日本人造肥料社などの株式を町にあった渋沢栄一の事務所を通じて購入しています。
『徳川慶喜公伝』は、渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画し、25年におよぶ歳月を費やして完成したもの。
その徳川慶喜も谷中墓地内にある寛永寺墓地(渋沢栄一の墓から徒歩5分ほど)にあるので(神式の墓)、時間が許せばあわせて見学を。

参詣の際は、マナーを守り、節度ある行動で。

渋沢栄一墓所(谷中霊園)
名称 渋沢栄一墓所(谷中霊園)/しぶさわえいいちぼしょ(やなかれいえん)
所在地 東京都台東区谷中7-5-24
関連HP 都立霊園公式ホームページ
電車・バスで JR・京成線日暮里駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 谷中霊園管理所 TEL:03-3821-4456
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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