東京都文京区小日向1丁目にある禁教時代にキリシタンが集められた場所が、切支丹屋敷跡。正保3年(1646年)、惣目付(後の大目付)で宗門改役・井上政重(いのうえまさしげ=下総国高岡藩)の下屋敷内に牢や番所を建てたもので、屋敷というよりも収容所に近い施設です。
江戸にあった知られざるキリシタンの強制収容施設
農民一揆とキリシタンの反乱が結合した島原の乱(1637年~1638年)を受けて、幕府のキリシタン迫害は強化され、寛永20年(1643年)、筑前国に漂着し、日本に潜入を試みたイタリアの宣教師ジュゼッペ・キアラ(Giuseppe Chiara=カトリックイエズス会宣教師)、ペトロ・マルクエズら10人も江戸に護送され、切支丹屋敷に収容されています。
ジュゼッペ・キアラは、穴吊りの拷問など幕府の迫害と拷問の責め苦に耐えかねて棄教し、岡本三右衛門(おかもとさんえもん)という日本名を名乗ってその後をこの屋敷で生きているので、屋敷というよりも転経、棄教を迫る強制収容所だったことがよくわかります。
施設内には牢屋、長屋があり、転経すれば屋敷からは出られないものの、長屋ぐらしが許され、幕府がキリシタンの知識、西洋の事情などを吸収する場としても利用されました。
ジュゼッペ・キアラの生涯は、遠藤周作の小説『沈黙』で知られ、『沈黙 -サイレンス-』(原題『Silence』/監督:マーティン・スコセッシ)として映画化されています。
宝永5年(1708年)、イタリアの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(Giovanni Battista Sidotti=最後の潜入バテレン)が屋久島に上陸した際にも、長崎で厳しい詮議を受けた後、将軍の側近・新井白石(あらいはくせき)の指示で江戸送りとなり、切支丹屋敷に収容、大通詞(オランダ語通訳官の長官)・今村英生(いまむらえいせい)を通訳に新井白石自らが尋問しています。
この尋問の記録をまとめたのが『西洋紀聞』(せいようきぶん)です。
正徳4年(1714年)、シドッティが没して以降は収容者もなく、享保9年(1724年)に火災で焼失。
その後は再建されることはなく、寛政4年(1792年)に廃止されています。
平成26年のマンション建設に伴う発掘調査で、3基の墓とシドッティのものと推測されるイタリア人の遺骨が発見されています。
切支丹屋敷跡には信者の八兵衛を生き埋めにして石を置いたという夜泣き石(八兵衛石)、切支丹屋敷跡の碑が立つのみですが、近くの坂は切支丹坂(幽霊坂)と呼ばれ、江戸における過酷なキリシタン迫害の歴史を今に伝えています。
切支丹屋敷跡 | |
名称 | 切支丹屋敷跡/きりしたんやしきあと |
所在地 | 東京都文京区小日向1-24-8 |
関連HP | 文京区公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ茗荷谷駅から徒歩8分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 文京区アカデミー推進課観光担当 TEL:03-5803-1174/FAX:03-5803-1369 |
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