多磨霊園・内村鑑三の墓

多磨霊園・内村鑑三の墓

東京都府中市多磨町4丁目にある多磨霊園(大正12年開設)には数多くの有名人が眠っていますが、キリスト教思想家・文学者の内村鑑三(うちむらかんぞう)もそのひとり。外人墓地の北側、多磨霊園東通りに近い8区16側29番にあるのが内村鑑三の墓。同じ8区には西園寺公望、高橋是清なども眠っています。

二つのJ」を愛した内村鑑三の墓

幕末の万延2年2月13日(1861年3月23日)、江戸小石川の武士長屋に、高崎藩士・内村宜之の長男として生まれた内村鑑三は、明治9年に開設された札幌農学校に第二期生として入学、明治11年に宣教師メリマン・コルバート・ハリス(Merriman Colbert Harris/アメリカ・メソジスト監督教会宣教師で)から洗礼を受け洗礼を受けてキリスト教徒となり(新渡戸稲造も洗礼を受けています)、明治14年、札幌農学校を主席で卒業しています。

卒業後、北海道開拓使民事局勧業課に勤め、札幌基督教会(札幌独立キリスト教会)を創立。
明治17年、私費でアメリカに留学し、神学の学位は得ないまま帰国しています。

第一高等中学校(現・東京大学教養学部、千葉大学医学部、薬学部)の嘱託教員時代には、教育勅語奉読式の際に明治天皇の親筆の署名に対して奉拝(最敬礼)をせずに降壇するという「内村鑑三不敬事件」を起こしています。

その後、『萬朝報』英文欄主筆に転身し、『東京独立雑誌』を創刊し主筆となりジャーナリストとして独立。
足尾鉱毒事件などにも関わり、日露戦争後は非戦論に傾いていますが、「社会主義は愛の精神ではない」と社会主義者とは距離をおき、日本独自の無教会主義キリスト教を提唱しています。

「真正(ほんとう)の教会は実は無教会であります。天国には実は教会なるものはないのであります。『われ城(まち、天国)の中に殿(みや、教会)あるを見ず』と約翰(よはね)の黙示録に書かれてあります。監督とか、執事とか、牧師とか、教師とか云う者のあるは此の世限りの事であります。彼所(かしこ)には洗礼もなければ晩餐(ばんさん)式もありません。彼所には教師もなく、弟子もありません」(雑誌『無教会』/明治34年3月14日)

昭和5年3月28日に没し、多磨霊園に埋葬。
日本人としての最初の洋式墓ともいわれる墓碑にはI for Japan, Japan for the World, The World for Christ, And All for God.と刻まれています。
「日本のための私、世界のための日本、キリストのための世界、そしてすべては神のため」という意味で、アメリカ留学中に、自らの墓碑銘にと、英語の4行詩「I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And All for God.」を聖書の扉に記したもの。
内村が信仰する「Jesus」(イエス・キリスト)とJapan(日本)、「二つのJ」という内村鑑三の思想にもつながっています。

多磨霊園・内村鑑三の墓
名称 多磨霊園・内村鑑三の墓/たまれいえん・うちむらかんぞうのはか
所在地 東京都府中市多磨町4-628
関連HP 多磨霊園公式ホームページ
電車・バスで 西武多摩川線多磨駅から徒歩10分
問い合わせ 多磨霊園管理事務所 TEL:042-365-2079
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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