万延元年遣米使節記念碑

万延元年遣米使節記念碑

東京都港区芝公園2丁目、増上寺三解脱門の門前、日比谷通り沿いの芝公園10号地にあるのが、万延元年遣米使節記念碑(まんえんがんねんけんべいしせつきねんひ)。昭和35年の日米修好通商条約100周年に際し、すぐ近くに立つペルリ提督の像とともに建立された記念碑です。

日米修好通商条約100周年を記念して建立した碑

安政7年1月22日(1860年2月13日)、米国海軍の外輪フリゲート艦「ポーハタン」は、日米修好通商条約の批准書を交換する正使の大役を帯びた新見正興(しんみまさおき)、副使・村垣範正(むらがきのりまさ)、監察・小栗忠順(おぐりただまさ)など日本使節団77人(役人20人、従者51人、賄方3人)を乗せ横浜を出港。

途中で時化(しけ)に遭遇し、石炭を余分に消費したためハワイ王国・ホノルルに立ち寄り、サンフランシスコに寄港の後、パナマへ。
パナマ地峡鉄道(パナマ〜コロン=世界最短の大陸横断鉄道)で大西洋へ抜け、そこから今度はアメリカ軍艦「ロアノーク」に乗って大西洋を北上、小蒸気船に乗り換えてポトマック川を遡り、首都ワシントンD.C.に万延元年閏3月25日(1860年5月15日)到着しています。
大統領のジェームズ・ブキャナンに謁見し、4月3日(5月23日)に国務長官のルイス・カスと日米修好通商条約の批准書を交換しています。

同時に別船として派遣された幕府海軍の「咸臨丸」が有名ですが(木村喜毅、勝海舟、福沢諭吉、通訳としてジョン万次郎などが乗船)、勝海舟は船酔いに悩まされて実務ができず、往路の嵐はジョン・マーサー・ブルック大尉などアメリカ人11人が運航に携わったなど、後世に伝えられる「活躍」とは異なる状況でした(勝海舟はアメリカでの砲台、製鉄所、ガス灯などの視察を、帰国後に神戸に海軍操練所を設けるなどして活かしています)。

使節団が渡米していた9ヶ月の間、日本国内では桜田門外の変で大老・井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺されるなど、尊皇攘夷熱が高まり、アメリカでの経験を幕政に活かすことはできませんでした。

記念碑はちょうど100年後となる昭和35年、日米修好通商百年記念行事運営会が建立したもの。

万延元年遣米使節記念碑
名称 万延元年遣米使節記念碑/まんえんがんねんけんべいしせつきねんひ
所在地 東京都港区芝公園4-8-4
電車・バスで 都営地下鉄芝公園駅、大門駅、赤羽橋駅、御成門駅から徒歩5分。JR浜松町駅から徒歩10分
ドライブで 首都高速芝公園ランプからすぐ
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 芝公園サービスセンター TEL:03-3431-4359
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
芝公園

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