南鳥島

南鳥島

東京都小笠原村、東京都心から南東に1950kmも離れた絶海の孤島が、南鳥島(みなみとりしま)。日本海溝の東側に位置する唯一の島で、日本の最東端です(緯度は石垣島、西表島と同程度)。住民はいませんが、気象庁職員、自衛隊職員(硫黄島航空基地隊南鳥島航空派遣隊)、関東地方整備局職員が常駐しています。

日本最東端に位置する隆起サンゴ礁の島

1辺2kmのほぼ正三角形の島で、周辺はサンゴ礁に囲まれています。
最高点でわずかに9mという隆起サンゴ礁の島で、20万年前に隆起したものだと推測されています。
気候的には熱帯気候と亜熱帯気候の推移帯にあり、年平均気温25.4度です。
南鳥島という名前ですが、鳥島の南というよりは小笠原父島・母島の東という位置関係です。
島の東端、丸石の浜には「日本最東端碑」が立っています。

幕末の元治元年(1864年)、米国船モーニングスター号(Morning Star)が島を訪れ、マーカス島(Marcus Island)と命名、明治29年に母島から46名が移住し、明治31年に東京府小笠原島庁に編入されています。
明治35年にはアメリカ政府がA・A・ローズヒル(明治22年にマーカス島に上陸し、未発見の無人島と誤認)にマーカス島の領有を認め、ハワイからジュリア・E・ワーレン号(Julia E. Whalen)を出航させますが、『東京朝日新聞』で報じられたこともあって日本側も軍艦「笠置」を急行させ、日米協議(紛争を避けるよう求めた駐日アメリカ公使A・E・バックの書簡などをアメリカ側に提示)により日本領が確定しています。

その後、南鳥島合資会社(後の全国肥料株式会社)が設立させ、アホウドリなどの海鳥からの羽毛採取、グアノ(海鳥の糞が長期間堆積して化石化した糞化石)採取、カツオ漁やヤシ栽培などが行なわれました。
グアノ採取は、島中央部にトロッコレールを敷設して大規模に行なわれましたが、海鳥、グアノの枯渇で昭和8年に島民が退去し、無人島に。

昭和10年、日本海軍の駐屯が開始され、海軍気象観測所が開設され、海軍水路部気象班による気象観測が開始されています。
戦時中は、4500名の守備隊員が防備し、アメリカ軍の上陸はなかったものの艦砲射撃、空襲を受け191名の戦死者を生んでいます。
敗戦後の昭和27年にアメリカ軍政下に入りますが、昭和43年に返還され、小笠原支庁に戻りました。

船での移動は、横須賀港から4日〜5日も必要なため(沖ノ鳥島とともに国土交通省の特定離島港湾施設が築かれています)、北の鼻海岸から海賊船の浜にかけて1370mの滑走路(南鳥島飛行場)が築かれ、飛行機だと東京から4時間ほどのフライトです(観光的な入島はできません)。
滑走路は昭和11年、海軍大演習に合せて築かれたもので、現在は海上自衛隊が管理しています。

南鳥島
名称 南鳥島/みなみとりしま
所在地 東京都小笠原村南鳥島
関連HP 小笠原村公式ホームページ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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