明治学院発祥の地碑

明治学院発祥の地碑

東京都中央区明石町7丁目、聖路加国際病院の北東側、塩瀬総本家本店近くに立つのが、明治学院発祥の地碑。明治13年に築地居留地(築地居留地17番)に東京一致神学校を開校していますが、明治学院はこの神学校開校をルーツとしています。

東京一致神学校を開校築地居留地17番が発祥の地

ヘボン式ローマ字で有名な、米国長老派教会の医療伝道宣教師、ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn)ゆかりの明治学院。

安政6年9月22日(1859年10月17日)に来日、横浜に上陸したヘボンは、神奈川宿(現・横浜市神奈川区)の成仏寺本堂を住まいとし、宗興寺に神奈川施療所を設けて医療活動を開始しています(神奈川県の近代医療の発祥ともいわれ、生麦事件では、負傷者の治療にあたっています)。

文久2年(1863年)冬、横浜山手居留地39番(関内山下地区)のヘボン邸に移り、ヘボン塾を開設していますが、これは男女共学の英学塾のため、明治学院はルーツとしていません。
明治学院(第9代学院長・平出宣道)は昭和62年10月31日に築地居留地17番の跡地に「東京一致神学校を基とする」として明治学院発祥の地碑を建立しています。

東京一致神学校は、明治10年、日本人教職の養成のため、米国長老教会などが一致合同してを創立した神学校です。
明治13年、ヘボンは、築地居留地7番(現在塩瀬総本家本店が建つ場所)に移転し、東京一致神学校に人材を送り込む教育機関として築地大学校を設立。
校長には、結婚して横浜山手居留地9番に新居を構え、ヘボン塾の男子クラスを受け持っていた米国長老派教会のジョン・クレイグ・バラ(John Craig Ballagh)が就任しています。

明治16年、築地大学校とマーティン・ネビアス・ワイコフ(Martin Nevius Wyckoff)が横浜で校長を務めた先志学校(せんしがっこう=明治14年、アメリカ・オランダ改革派教会が設立)が合併して東京一致英和学校に、さらに明治19年に東京一致神学校、東京一致英和学校、英和予備校の3校が合併し、明治学院となったのです(明治20年には白金台にキャンパスを移しています=現在の明治学院大学白金キャンパス)。

明治22年10月にはヘボンが明治学院初代総理に就任しています。
島崎藤村作詞、前田久八作曲による校歌を制定したのは、明治40年のこと。

築地居留地は、築地鉄砲洲(現在の中央区明石町一帯)に明治2年に設置され、明治32年に廃止されていますが、明治学院のほか、立教、青山学院、女子聖学院などキリスト系学校の発祥の地ともなっています。

明治学院発祥の地碑
名称 明治学院発祥の地碑/めいじがくいんはっしょうのちひ
所在地 東京都中央区明石町7-20
電車・バスで 東京メトロ新富町駅、築地駅から徒歩7分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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