ペリー提督来航記念碑(父島)

ペリー提督来航記念碑(父島)

東京都小笠原村、東京・竹芝桟橋と父島を結ぶ小笠原海運「おがさわら丸」が入港する小笠原二見港船客待合所近くにあるのが、ペリー提督来航記念碑。東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー(Matthew Calbraith Perry)が父島に上陸したことを記念するモニュメントで、平成8年に建立。

1853年6月14日、ペリー提督は父島に上陸!

東インド艦隊司令長官ペリーは、アメリカ合衆国大統領ミラード・フィルモアの親書を携えて、1852年11月、バージニア州ノーフォークを出航、マデイラ諸島、ケープタウン、モーリシャス、セイロン、シンガポール、マカオ、香港、上海を経て、1853年5月26日、琉球(沖縄)の泊に停泊、強引に首里城まで行進し、琉球王府に親書を手渡しています。

その後、江戸湾・浦賀には向かわず、艦隊の一部は那覇にとどまり、6月9日に旗艦「サスケハナ号」、「サラトガ号」が出航、6月14日に二見港に入港、6月14日〜6月18日にかけて、領有のはっきりしない父島周辺を探検、移住民代表ナザニエル・セーヴォレー(アメリカ人)から貯炭場用地を購入、自治政府の設置を促し、その後、小笠原の領有を宣言しているのです(イギリスの抗議を受け、小笠原諸島の領有に関してはあいまいに/明治9年、小笠原諸島は正式に日本領土に)。

ペリーは6月23日に一度琉球へ帰還、その後、7月2日、浦賀を目指して出航しています。
浦賀に到着するのは、1853年7月8日(嘉永6年6月3日)夕刻のこと。
小笠原は、太平洋航路の中継基地、捕鯨船の補給基地として欠かせないもので、そのためわざわざ琉球から足を伸ばしたのです。

大神山公園コミュニティ広場に立つペリー提督来航記念碑は、ペリー小笠原来航の説明、ペリー提督の肖像レリーフ、探険隊活動レリーフ、いかりのモニュメントなどから成り、ペリー生誕地のロードアイランド州・ニューポート市との友好を記念して建立されたものです。

令和5年11月7日には、ペリー提督から5代目となるマシュー・カルブレイス・ペリーさんが父島を訪れ、父島の最初の移住者で、ナザニエル・セーヴォレーから5代目のセーボレー孝さんと面会するという感動的な対面も実現しています。

ペリー提督来航記念碑(父島)
名称 ペリー提督来航記念碑(父島)/ぺりーていとくらいこうきねんひ(ちちじま)
所在地 東京都小笠原村父島
電車・バスで 小笠原二見港から徒歩すぐ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
ペリー上陸地は、全国に6ヶ所も!

ペリー上陸地は、全国に6ヶ所も!

東インド艦隊司令長官のペリー提督は、太平洋航路や捕鯨船の補給地確保もあって徳川幕府に開国を迫るため。嘉永6年(1853年)、フィルモア大統領の親書を携え来航、そしてその翌年に日米和親条約を締結、下田、箱館を開港させています。その間に上陸した

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ