昭和通り(震災復興道路)

昭和通り(震災復興道路)

関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第一号」が、昭和通り。大関横丁交差点(台東区)~新橋交差点(港区)の8kmで、幅員44mの道路で、昭和3年に完成。昭和という新しい年号を道路名にしています。

当初の後藤新平案は幅員108mという壮大なもの(実際は44m)

昭和通り(震災復興道路)

江戸時代以来の幹線道路・中央通り(日本橋、銀座、上野を通る道路で、江戸時代の東海道、中山道、奥州街道)に並行して、三ノ輪と新橋をつなぐ南北の軸として幅員72mで計画されましたが、予算縮小の結果、幅員44mで建設されました。
当初、東京市長・後藤新平(ごとうしんぺい/関東大震災の日に偶然組閣された山本権兵衛内閣で内務大臣)の案では、パリのシャンゼリゼに倣って防火帯を兼ね、幅員は108mという壮大な「100m道路」でしたが、予算の関係などで、結果としては44mになっています(100m道路は、名古屋市の2本と、広島市の1本が戦後の復興で建設されています)。

中央分離帯(緑地)、両側には歩道も設置され、戦後間もない頃には食糧増産のため中央分離帯は麦などが植えらたこともありました。

「東京オリンピック1964」を迎えるにあたって、交差点の立体交差のため本線部分にアンダーパスが造られ、その際に広い中央分離帯は失われています。

現在は北側は国道4号、南側が東京都道316号(日本橋芝浦大森線)です。
道路の下には北側で東京メトロ日比谷線(仲御徒町駅~三ノ輪駅)が、南側に都営浅草線(日本橋駅~新橋駅)が通っています。

同じ震災復興道路の靖国通りとは岩本町交差点(平面交差)で、永代通りとは江戸橋1丁目交差点、八重洲通りとは京橋1丁目交差点、晴海通りとは、三原橋交差点(東京メトロ・都営地下鉄東銀座駅)でクロスしていますが、基本的に本線は幹線道路の交差点ではアンダーパスでくぐっています。

昭和通り(震災復興道路)
昭和通り(震災復興道路)
『大東京新名所絵葉書』昭和通り
昭和通り(震災復興道路)
名称 昭和通り(震災復興道路)/しょうわどおり(しんさいふっこうどうろ)
所在地 東京都台東区三ノ輪~港区新橋
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
靖国通り(震災復興道路)

靖国通り(震災復興道路)

関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第二号」が、靖国通り(第一号は昭和通り)。震災から復興を期に幅員36mに拡幅され、九段坂の急勾配も緩やかに改修されています。当初は大正通りでしたが、戦後、

永代通り(震災復興道路)

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関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第三号」が、永代通り(えいたいどおり)。帝都復興第一橋梁の永代橋を渡ることから、永代橋通りと名付けられています。永代通りと旧東海道の中央通りが交わるのが日

晴海通り(震災復興道路)

晴海通り(震災復興道路)

関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第四号」が、晴海通り(はるみどおり)。祝田橋交差点(千代田区)から銀座の中央を縦断、銀座四丁目交差点、歌舞伎座前を経て、勝鬨橋(かちどきばし)、豊洲を経て

 

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