令和4年の『全国都道府県市区町村別面積調』によれば、全国で県境の未確定な場所は17ヶ所。日本のシンボル富士山頂の県境も確定していませんが、実は、首都である東京でも未確定の場所が全国最多の3ヶ所あります。そのうちのひとつが、葛飾区の水元公園周辺です。
東京都と埼玉県の県境が未確定
葛飾区によれば「明治百年事業、東京百年事業として用地を取得し、整備をしたのが東京都立水元公園」。
問題は、公園の西側に位置する地図上での水部。
一見すると川のように見えますが実はこれは小合溜(こあいためい、こあいだめ)と呼ばれる造成された池です。
溜井とは、用水を確保するために河川を堰き止めて作った用水池のこと。
もし、この水部が川であればその中央に境界線が引かれるので、「領土問題」は生まれません。
対岸の埼玉県三郷市は、「池の中央に境界がある」と主張しているのです。
対する葛飾区は、「池全体が葛飾区のもの」という立場をとり、大きな「領土問題」が生まれているのです。
どうしてそんなことになったのでしょうか?
東京都立水元公園に隣接する小合溜は、8代将軍・徳川吉宗の治世である享保14年(1729年)、江戸幕府の治水事業として、吉宗が紀州藩の井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)に命じて築いたもの。
正式名称は小合溜井で、古利根川の増水時に、小合溜井に導水して江戸の町を洪水から守るという役割を担っていたのです。
つまりは、一見すると川にも見えるその水部は、灌漑用水を調整する遊水池として開削したという歴史があるのです。
桜土手と呼ばれる土手は、洪水防止の堤防。
洪水防止という目的のほか、葛飾などの水田の灌漑にも利用されたので、灌漑用水の水源池という意味合いで「水元」(みずもと)と呼ばれていました。
現在は隣接する大場川から水をポンプアップして循環させ、水質の保全が図られています。
というわけで、葛飾区側の主張は、「歴史的には池全体が葛飾側の意図により、江戸の洪水防止で浚渫されたもの。簡単に言えば葛飾側がつくったものということで、葛飾区の領有」となります。
こうした主張を受け、都立公園である水元公園の園内図を見ると、小合溜はすべて葛飾区の所属となるように境界線が引かれています。
もともと埼玉県三郷市は寛永年間(1622年〜1643年)以降は、江戸と同じ武蔵国で、吉宗の時代には国境問題はなく、明治4年、廃藩置県で埼玉県葛飾郡に属したという歴史的な背景が。
さて、歴史的な背景はおわかりいただけたでしょうが、埼玉県三郷市側にも「みさと公園」が整備され、小合溜の両岸が公園化され、「東京に最も近い水郷風景」とか「欧風な景観」を現出しています。
当然、三郷市は隣接する大場川も中央に境界線が引かれているのだから、小合溜も中央に引くべきという主張。
「小合溜をはさんで東京都の水元公園と向かい合い、一体的な美しい水辺空間を形成しています」(みさと公園HP)。
東京では珍しい、美しい水郷景観の背後に、実は解決のめども立たないような「領土問題」が隠されているのです。
しかも、「水利権、漁業権などがない場所なので、行政上の不都合はありません」(三郷市)ということで「地方交付税の算定のため暫定的な境界を定めてある」(三郷市)ため、どうやら行政としても、解決を急ぐこともないようなのです。
ちなみにGoogleマップでは、なぜか小合溜の中央に境界線が引かれ、埼玉県(三郷市)側の主張を受け入れたかたちに(富士山も同様に、本来の未確定地にしっかりと境界線が引かれるというおかしな仕様に)。
東京都には、もう2ヶ所、千葉県との境界未確定地がありますが、その話は【地図を旅する】vol.5、vol.6で。
地図(国土地理院)/地理院タイル
【地図を旅する】vol.4 東京にもあった県境未確定の地(葛飾区・小合溜) | |
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