徳島県三好市東祖谷、屋島の源平合戦に敗れた平氏一族が落ち延びてきたと伝えられる東祖谷の大枝地区にあるのが、武家屋敷喜多家(ぶけやしききたけ)。源平合戦に敗れた平家落人(へいけおちうど)は讃岐山脈を経て、阿波へと入り、吉野川を溯ったと伝えられています。
宝暦13年(1763年)築、祖谷最大の武家屋敷が現存
平家一門は、源氏の追討を逃れ、いったんは現在の三好市井川町井内にとどまりますが、安住の地にはならず山深い祖谷へと落ち延びたとされています。
喜多家は、平家の末裔・小野寺氏を祖にする家柄で、藩祖となる蜂須賀家政の阿波入国の際、祖谷の反乱勢力の鎮圧に功があり、南家、北(喜多)家、谷家の3家分かれ、名主に。
小野寺氏は、下野国都賀郡小野寺(現・栃木市岩舟町小野寺)がルーツで、南北朝時代に奥州から阿波に入国したと伝えられています。
3家のうち、大枝地区の名主を務めたのが北(喜多)六郎三郎を名乗った小野寺吉郷。
現存する屋敷は宝暦13年(1763年)に建てられたもの。祖谷地方で現存するもっとも大きな武家屋敷です。
自害のための「入らずの間」や外から槍で突かれても大丈夫なように造られた広い中廊下など、当時の武家屋敷の特色を備えていて、見学する価値があります。
すぐ近くの鉾神社(ほこじんじゃ)には徳島県下一の大杉で、樹齢は800年と推定され徳島県の天然記念物に指定される鉾杉もそびえています。
平国盛が大枝部落に神社を建立、所持していた鉾を納めて、平和を祈念して杉を手植にしたものと伝えられ、国盛杉とも呼ばれています。
武家屋敷喜多家 | |
名称 | 武家屋敷喜多家/ぶけやしききたけ |
所在地 | 徳島県三好市東祖谷大枝43 |
関連HP | 三好市公式ホームページ |
ドライブで | 徳島自動車道井川池田ICから約51km |
駐車場 | 6台/無料 |
問い合わせ | 武家屋敷喜多家 TEL:0883-88-2040 |
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