鹿児島県三大古墳とは!?

鹿児島県三大古墳

鹿児島県はヤマト王権の影響を受けた日本最南のエリア。とくに志布志湾沿いには21基もの前方後円墳が築造されています。県下最大の古墳は、東串良町の唐仁大塚古墳、さらに大崎町の横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)、肝付町の日本最南の前方後円墳、塚崎51号墳(花牟礼古墳)と続きます。

唐仁大塚古墳|東串良町

形式:前方後円墳
墳丘長:140m/九州第3位の巨大古墳
所在地:鹿児島県肝属郡東串良町新川西5096/唐仁古墳群
築造の時代:4世紀末(古墳時代中期初頭)頃
被葬者:西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)が築造される以前に、南九州に君臨し、ヤマト王権と密接な関係を有した首長の墓
史跡指定:国の史跡(唐仁古墳群)

唐仁大塚古墳

唐仁大塚古墳

鹿児島県東串良町(ひがしくしらちょう)にある、墳丘長140mという九州第3位の巨大な前方後円墳が唐仁大塚古墳(とうじんおおつかこふん)。130基の古墳で構成される唐仁古墳群(国の史跡)の主墳(1号墳)にもなっています。大隅半島、志布志湾に臨

横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)|大崎町

形式:前方後円墳/埴輪を有する日本最南端の前方後円墳
墳丘長:墳丘長132m
所在地:鹿児島県曽於郡大崎町横瀬1427
築造の時代:5世紀中葉〜5世紀後半(古墳時代中期)
被葬者:志布志湾一帯の水運を掌握し、ヤマト王権(畿内)と密接な関係を有した盟主
史跡指定:国の史跡

横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)

横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)

鹿児島県大崎町横瀬にある墳丘長132mの巨大な前方後円墳が横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)。志布志湾の海岸線より1kmほど内陸に入った標高7mの水田の中に位置しています。鹿児島県では唐仁大塚古墳(東串良町)に次ぐ2番目に大きい前方後円墳(国の史跡

塚崎51号墳(花牟礼古墳)|肝付町

形式:前方後円墳/日本最南の前方後円墳
墳丘長:71m
所在地:鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎(塚崎古墳群)
築造の時代:5世紀後半(古墳時代中期)
被葬者:ヤマト王権と関係を有した最南の首長
史跡指定:国の史跡

塚崎51号墳(花牟礼古墳)

塚崎51号墳(花牟礼古墳)

鹿児島県肝付町(きもつきちょう)野崎にある塚崎古墳群は、前方後円墳5基・円墳54基(現存するのは39基)と地下式横穴墓29基で構成される古墳群。大隅半島の東部、野崎塚崎台地に築かれた古墳群ですが、花牟礼古墳と通称される塚崎51号墳(旧39号

鹿児島県三大古墳とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
九州の巨大古墳

九州の古墳 ベスト5

ヤマト王権のあった畿内から遠く離れた九州。朝鮮半島と独自の交流ルートを有した九州の大首長は、巨大古墳を見る限りは日向灘、大隅半島など畿内との連絡が容易な太平洋沿岸に集中することが判明。注目はその歴史的変遷で、日向灘(現・宮崎市)→大隅半島→

宮崎県三大古墳

宮崎県三大古墳とは!?

天孫降臨伝説の残される宮崎県。西都市にある西都原古墳群は、その伝承に関わる古墳ともいわれ、宮崎県1位、2位の巨大古墳である男狭穂塚、女狭穂塚は宮内庁の陵墓参考地になっています。第3位は宮崎市の生目三号墳(生目古墳群)で、いずれも南九州に君臨

佐賀県三大古墳

佐賀県三大古墳とは!?

日本最古の水田の跡のある菜畑遺跡、そして吉野ヶ里遺跡など、古代には大陸との交流の窓口でもあった佐賀県。有明海に臨む佐賀市(佐賀平野)の船塚古墳、銚子塚古墳が1位と3位、間に入ったのが、唐津市の唐津湾に流れ出る松浦川河口部に築かれた久里双水古

大分県三大古墳

大分県三大古墳とは!?

大分県の古墳時代は、豊後海峡を支配し、瀬戸内海へと乗り出した海の民が繁栄した時代。海運技術に秀でた民を支配する首長をヤマト王権が見逃すはずもなく、王権と密なる関係を築いた首長墓が、杵築市の小熊山古墳、大分市の亀塚古墳、築山古墳で、以上が大分

熊本県三大古墳

熊本県三大古墳とは!?

熊本県の古墳時代は有明海に面した平野部だけでなく、阿蘇谷にも巨大な古墳が築かれています。これは阿蘇谷に豊富な資源があり、古代の工場があったから。氷川町の大野窟古墳、阿蘇市の長目塚古墳、山鹿市の岩原双子塚古墳が現存する熊本県三大古墳です。大野

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ