鹿児島県はヤマト王権の影響を受けた日本最南のエリア。とくに志布志湾沿いには21基もの前方後円墳が築造されています。県下最大の古墳は、東串良町の唐仁大塚古墳、さらに大崎町の横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)、肝付町の日本最南の前方後円墳、塚崎51号墳(花牟礼古墳)と続きます。
唐仁大塚古墳|東串良町
形式:前方後円墳
墳丘長:140m/九州第3位の巨大古墳
所在地:鹿児島県肝属郡東串良町新川西5096/唐仁古墳群
築造の時代:4世紀末(古墳時代中期初頭)頃
被葬者:西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)が築造される以前に、南九州に君臨し、ヤマト王権と密接な関係を有した首長の墓
史跡指定:国の史跡(唐仁古墳群)
横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)|大崎町
形式:前方後円墳/埴輪を有する日本最南端の前方後円墳
墳丘長:墳丘長132m
所在地:鹿児島県曽於郡大崎町横瀬1427
築造の時代:5世紀中葉〜5世紀後半(古墳時代中期)
被葬者:志布志湾一帯の水運を掌握し、ヤマト王権(畿内)と密接な関係を有した盟主
史跡指定:国の史跡
塚崎51号墳(花牟礼古墳)|肝付町
形式:前方後円墳/日本最南の前方後円墳
墳丘長:71m
所在地:鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎(塚崎古墳群)
築造の時代:5世紀後半(古墳時代中期)
被葬者:ヤマト王権と関係を有した最南の首長
史跡指定:国の史跡
鹿児島県三大古墳とは!? | |
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