佐賀県三大古墳とは!?

佐賀県三大古墳

日本最古の水田の跡のある菜畑遺跡、そして吉野ヶ里遺跡など、古代には大陸との交流の窓口でもあった佐賀県。有明海に臨む佐賀市(佐賀平野)の船塚古墳、銚子塚古墳が1位と3位、間に入ったのが、唐津市の唐津湾に流れ出る松浦川河口部に築かれた久里双水古墳です。

船塚古墳|佐賀市

形式:前方後円墳
墳丘長:114m
所在地:佐賀県佐賀市大和町久留間東角
築造の時代:5世紀中頃(古墳時代中期)
被葬者:ヤマト王権が王権に服属、同盟した地方の君長に与えた県主(さがあがたぬし)のひとり、佐嘉県主の可能性も
史跡指定:佐賀県の史跡

船塚古墳

船塚古墳

佐賀県佐賀市大和町にある巨大な前方後円墳が船塚古墳(ふなづかこふん)。墳丘長114mは、佐賀県最大の古墳で、佐賀県の史跡になっています。古墳時代中期、5世紀中頃の築造と推測されますが、本格的な発掘調査が行なわれていません。佐賀県最大の前方後

久里双水古墳|唐津市

形式:前方後円墳
墳丘長:108.5m
所在地:佐賀県唐津市久里
築造の時代:3世紀末~4世紀初頭(古墳時代初期)
被葬者:『魏志倭人伝』に記載の末廬国の王の後継者の墓か
史跡指定:佐賀県の史跡

久里双水古墳

久里双水古墳

佐賀県唐津市のJR唐津線山本駅から松浦川を渡った場所にある久里双水古墳(くりそうずいこふん)。古墳というより2つの小山といった感じで、その巨大さに驚くほど。唐津市の久里と双水の境にあり、周囲は久里双水古墳公園として整備されています。全長10

銚子塚古墳|佐賀市

形式:前方後円墳
墳丘長:98m
所在地:佐賀県佐賀市金立町金立
築造の時代:4世紀末(古墳時代中期初頭)
被葬者:ヤマト王権と密接な関係を有し(畿内の古墳と共通の設計)、権力をもった首長
史跡指定:国の史跡

銚子塚古墳

銚子塚古墳

佐賀県佐賀市金立町にある国の史跡に指定される古墳が、銚子塚古墳。墳丘長は98mと惜しくも100mに届きませんが、佐賀平野では船塚古墳(114m)に次ぐ巨大古墳で、佐賀県内でも久里双水古墳(唐津市108.5m)に続く第3位の巨大古墳です。古墳

佐賀県三大古墳とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
九州の巨大古墳

九州の古墳 ベスト5

ヤマト王権のあった畿内から遠く離れた九州。朝鮮半島と独自の交流ルートを有した九州の大首長は、巨大古墳を見る限りは日向灘、大隅半島など畿内との連絡が容易な太平洋沿岸に集中することが判明。注目はその歴史的変遷で、日向灘(現・宮崎市)→大隅半島→

宮崎県三大古墳

宮崎県三大古墳とは!?

天孫降臨伝説の残される宮崎県。西都市にある西都原古墳群は、その伝承に関わる古墳ともいわれ、宮崎県1位、2位の巨大古墳である男狭穂塚、女狭穂塚は宮内庁の陵墓参考地になっています。第3位は宮崎市の生目三号墳(生目古墳群)で、いずれも南九州に君臨

鹿児島県三大古墳

鹿児島県三大古墳とは!?

鹿児島県はヤマト王権の影響を受けた日本最南のエリア。とくに志布志湾沿いには21基もの前方後円墳が築造されています。県下最大の古墳は、東串良町の唐仁大塚古墳、さらに大崎町の横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)、肝付町の日本最南の前方後円墳、塚崎51号墳

大分県三大古墳

大分県三大古墳とは!?

大分県の古墳時代は、豊後海峡を支配し、瀬戸内海へと乗り出した海の民が繁栄した時代。海運技術に秀でた民を支配する首長をヤマト王権が見逃すはずもなく、王権と密なる関係を築いた首長墓が、杵築市の小熊山古墳、大分市の亀塚古墳、築山古墳で、以上が大分

熊本県三大古墳

熊本県三大古墳とは!?

熊本県の古墳時代は有明海に面した平野部だけでなく、阿蘇谷にも巨大な古墳が築かれています。これは阿蘇谷に豊富な資源があり、古代の工場があったから。氷川町の大野窟古墳、阿蘇市の長目塚古墳、山鹿市の岩原双子塚古墳が現存する熊本県三大古墳です。大野

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ