塩硝の館

塩硝の館

富山県南砺市、世界遺産にも登録される菅沼合掌造り集落(南砺市菅沼伝統的建造物群保存地区)。民俗資料を展示する五箇山民俗館に隣接し、藩政時代の五箇山の一大産業だった塩硝の製造を展示解説するミュージアム。黒色火薬の原料である塩硝の製造方法を、詳しく解説しています。

五箇山の一大産業だった塩硝の製造を展示

五箇山民俗館

塩硝の材料であるヨモギ、麻、サクなどの採取から、積み込み、灰汁塩硝煮詰め、上煮塩硝作り、出荷までの過程をミニチュアや影絵などでわかりやすく解説。
一向一揆(いっこういっき=本願寺門徒らが中心となった一揆)と織田信長とが激突した石山合戦(本願寺法主の顕如が石山本願寺に籠城して抗戦、跡地が大阪城)でもこの五箇山の塩硝が使われています。
交通の不便な山中にあり、豪雪で冬は閉ざされた往時の五箇山。
五箇山そして白川郷の塩硝づくりは加賀藩の直轄事業で、加賀藩にとって幕府の目を盗んでの塩硝を製造するには、絶好のロケーションだったのです。
塩硝は、幕府の目を逃れるためもあって、床下で製造されていました。

「煙硝」ではなく、「塩硝」。塩と偽って火薬の原料を製造!?

火縄銃で使う黒色火薬は、硝石75%、木炭15%、硫黄10%の混合。
ところが硝石は中国、インドからの輸入に頼っていたため、国内需要に追いつくことができませんでした。

硝石は主成分は、硝酸カリウム。
その代用品として、塩硝を用いたのです。
塩硝生産の技術は、肥料生産の技術を基礎にしています。

ヨモギや麻、シソやツユクサなどの草に土、蚕の糞、人間の尿を混ぜ込み、囲炉裏の近くの床下に置いて、囲炉裏の熱で4年~5年かけて発酵させ、まずは塩硝土をつくります。
こうしてできあがった塩硝土の上部には硝酸カルシウムの結晶が多く含まれています。
硝酸カルシウムを多く含む塩硝土に水を加え、釜で煮詰めて濾過したものが塩硝。
この塩硝に木炭と硫黄の粉を混ぜ合わせれば黒色火薬となるのです。

本来、塩硝は、「煙硝」あるいは「焔硝」と記しますが、加賀藩では、あくまで「塩」ということで塩硝と表しています。
製造した「塩」は、山中の秘密のルートを通って金沢へと運ばれ、黒色火薬が製造されたと伝えられています。
五箇山と福光を結ぶ富山県道54号(福光上平線)は、かつてブナオ峠を越えて塩硝を金沢へと運んだ塩硝街道です。

名称 塩硝の館/えんしょうのやかた
所在地 富山県南砺市菅沼436
関連HP 南砺市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR高岡駅・JR新高岡駅・城端駅から世界遺産バスで、菅沼下車
ドライブで 東海北陸自動車道五箇山ICから約1.5km
駐車場 集落展望広場駐車場(30台/有料)
問い合わせ 塩硝の館 TEL:0763-67-3262
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
五箇山民俗館

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