富山県富山市、富山城の本丸跡に昭和29年に開催された『富山産業大博覧会』の記念建築物として建設された天守閣風の建物を再生したのが富山市郷土博物館。建物も戦災復興期を代表する建築物として、国の登録有形文化財に指定されています。
富山城、富山藩の歴史を詳しく解説
3層4階の富山城風建物の内部には中世以来の富山城の歴史を紹介。
続日本100名城に選定される富山城は、天文12年(1543年)頃、神通川を越えて新川郡に東進した神保長職(じんぼうながもと)が築城したのが始まり。
戦国時代末期、織田信長の命で越中に入った佐々成政(さっさなりまさ)は富山城の大規模な改修、本能寺の変の後、羽柴秀吉に敵対した佐々成政は秀吉軍の襲撃を受け、降伏し、富山城を破却しています(この時、浜松城の徳川家康に救援を求めるため、冬の北アルプスを越えたとされるのが 「さらさら越え」)。
関ヶ原合戦後に前田利家が富山城を再整備、寛永16年(1639年)、加賀藩第3代藩主・前田利常(まえだとしつね)が次男の利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が立藩しています。
富山市郷土博物館の館内では、富山城研究の現在、神保長職によって築かれた中世の富山城(富山城をめぐり繰り広げられる一向一揆や、上杉謙信、武田信玄ら戦国武将たちの攻防、佐々成政の入城)、前田利長(まえだとしなが)築城の近世の富山城(初代藩主・前田利次以降富山前田家13代の居城)、近現代の富山城址(戦災復興のシンボルとして建設された模擬天守閣)に分けて詳しく解説されています。
富山市郷土博物館 | |
名称 | 富山市郷土博物館/とやましきょうどはくぶつかん |
所在地 | 富山県富山市本丸1 |
関連HP | 富山市郷土博物館公式ホームページ |
電車・バスで | JR・あいの風とやま鉄道富山駅から徒歩10分 |
ドライブで | 北陸自動車道富山ICから約4km |
駐車場 | 市営城址公園地下駐車場(108台/有料) |
問い合わせ | 富山市郷土博物館 TEL:076-432-7911/FAX:076-432-7911 |
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