伏拝王子

伏拝王子

和歌山県田辺市、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつ熊野古道・中辺路(なかへち)途中、その名の通り本宮大社を目にして伏し拝んだ地が伏拝王子(ふしおがみおうじ)。熊野の山並みを一望にし、明治22年の大水害で流出するまで本宮が鎮座した大斎原(おおゆのはら)を最初に目にする熊野古道のクライマックスの地。

本宮大社を目にして伏し拝んだ地

紀州徳川家初代・徳川頼宣(とくがわ よりのぶ=徳川家康の十男)寄進とされる石祠と延応元年(1239年) の銘がある和泉式部供養塔が立っています。
近くにはNHK連続テレビ小説『ほんまもん』(平成13年秋〜平成14年春)のロケに使われた家や畑もあります。

この先、祓戸王子(はらいどおうじ)までは3km、徒歩1時間の距離。
ちなみに中世の熊野参詣記には伏拝王子の名は見あたらず、享保15年(1730年)の『九十九王子記』に初めて記された名前なので、近世以降の地名と考えられています。

和泉式部の供養塔があるのは、和泉式部が熊野詣の際、月の障りとなったため、この地で熊野本宮を遥拝して京に戻ろうと、「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」と歌を詠んだところ、その夜の夢枕に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来)が立ち、「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」という歌を返したため、無事に参詣を果たしたという故事から。

この話は、神仏習合時代の熊野権現(熊野信仰)が、女性にも開かれたもので、出産や月経などが不浄とは考えていないということを説話的に説いたものだと推測できます。
鎌倉時代中期から室町時代にかけて、一遍上人が起こした時宗が熊野の勧進権を独占し、貴族のものだった熊野詣を庶民にまで広めていったのです。
「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」という当時の時宗の少し強引な不況活動が和泉式部の説話の背景にはあるのです。

伏拝王子前にはきれいなトイレと休憩所があります。
発心門王子(ほっしんもんおうじ)から1.7km、徒歩30分で水呑王子。
さらに1.9km徒歩30分で伏拝王子に到着。

最終の祓戸王子へは、3.1km、徒歩55分(熊野本宮大社へはさらに徒歩3分)。

名称 伏拝王子/ふしおがみおうじ
所在地 和歌山県田辺市本宮町伏拝茶屋続157
ドライブで 阪和自動車道南紀田辺ICから約63km
駐車場 なし
問い合わせ 田辺観光協会 TEL:0739-26-9929
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
祓戸王子

祓戸王子

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水呑王子

水呑王子

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