山口県萩市、松陰神社の敷地内にある、吉田松陰の実家・杉家旧宅で、吉田松陰が謹慎生活を送った建物が吉田松陰幽囚ノ旧宅。吉田松陰が幽囚した杉家旧宅には、三畳半の部屋が当時のまま残されており、見学が可能。ここで松陰は、読書と著述に専念し、近隣の子弟に孟子などを講じています。国の史跡。
吉田松陰が幽閉生活を送った部屋が現存
木造瓦葺き平屋で、8畳3室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半1室、3畳1室、2畳1室のほか、板間、物置、土間を有する大きな建物ですが、幽囚室は東側にある3畳半の一室。
嘉永7年3月27日(1854年4月24日)、吉田松陰は、伊豆下田湊(現・静岡県下田市)で金子重之輔とともにペリー艦隊に潜入し海外密航を企てますが失敗(下田踏海事件)。
柿崎名主・増田平右衛門宅に自首し、下田奉行所に連行された松蔭は、長命寺に拘禁された後、江戸・伝馬町の牢獄行きに。
のちに萩に送られ、野山獄に投獄されますが、その後釈放され、実父・杉百合之助(すぎゆりのすけ=杉常道/下級武士で石高26石)預かりとなり、実家で謹慎生活を送っています。
この時、父・杉百合之助は藩に責任を取って切腹すると申し出ていますが、差し戻され、安政6年(1859年)5月に松陰が江戸護送となるまで、藩職を続けています(後に復職)。
安政4年(1857年)、叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾(世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産)を開塾しています。
吉田松陰幽囚ノ旧宅 | |
名称 | 吉田松陰幽囚ノ旧宅/よしだしょういんゆうしゅうのきゅうたく |
所在地 | 山口県萩市椿東松本 |
関連HP | 松陰神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR東萩駅から萩循環まぁーるバスで、松陰神社前下車、すぐ |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約44km |
駐車場 | 松陰神社駐車場(64台/無料) |
問い合わせ | 松陰神社 TEL:0838-22-4643/FAX:0838-22-4282 |
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