岩国城

1600(慶長5)年、関ヶ原の戦い後に出雲(いずも=島根県)から岩国に移封された毛利一門の吉川広家(きっかわひろいえ=吉川元春の子)。周防国(すおうのくに)岩国に赴任した後から横山山頂に築城を始め、1608(慶長13)年に完成させたのが岩国城。「日本100名城」にも選定されています。

見た目重視で山麓から見えやすい場所に建てられた復興天守

往時とは異なる場所に建てられた復興天守
復興天守から眼下に城下町と錦川眺望

標高210mほどの横山は三方を錦川に囲まれた天然の要塞で、東側の川向こうには城下町も形成、当時白亜の天守閣は、岩国領主の象徴として仰がれました。

吉川広家は関ヶ原合戦の際に、西軍でしたが、徳川家康に内通。
長州藩の家臣として岩国領主となり(正式な藩ではありません)、家康からは岩国築城を許されました。
そして江戸に藩邸を構え、参勤交代も義務付けられるという特殊な立場になっています。

岩国城は慶長13年(1608年)に完成。
本丸には4層6階の天守が築かれました。

山頂部には空堀、石垣、井戸跡が復元&現存

復興天守の内部は資料館に
天守最上階は展望室に

しかし、天守も構えた岩国城ですが、1615(元和元)年、徳川幕府の一国一城令により、わずか7年で取り壊されてしまいました。
麓の土居が、岩国領の陣屋として明治維新まで存続します。

山上には石垣と空堀が残るのみでしたが、昭和37年に天守を再建。
本来の天守台とは異なる場所に建つ復興天守は、桃山風南蛮造りの4層からなり、4階からは城下町と瀬戸内海を一望にします。
本来の天守台石垣は、平成7年に発掘復元。

明治18年、山麓の吉川家の居館「土居」跡は、吉香公園として整備され、旧藩時代の矢倉に似せて「錦雲閣」 (きんうんかく) が建てられています。
城山山麓の吉香公園と復興天守の建つ山頂とは、岩国城ロープウェイで結ばれています。

ロープウェイの山頂駅があるのが搦手(からめて=裏)側。
山頂駅から北東の尾根に沿って、二の丸、本丸、北の丸と続いています。

二の丸の下には1608(慶長13)年の築城と同時に築かれた井戸、大釣井(おおつるい)があります。
本丸下の空堀は、幅19.6m、深さ10mの日本最大の箱堀構造となっています。

発掘復原された天守台の石垣
貴重な山上の井戸、大釣井
岩国城
名称岩国城/いわくにじょう
所在地山口県岩国市横山2
関連HP岩国市公式観光Webサイト
電車・バスでJR岩国駅から市営バス錦帯橋・新岩国方面行きで20分、錦帯橋バスセンター下車、徒歩で錦帯橋を渡って10分、岩国城ロープウェイで5分、下車徒歩5分
ドライブで山陽自動車道岩国ICから約5.5km
駐車場66台/無料
問い合わせ錦川鉄道岩国管理所 TEL:0827-41-1477
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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