法泉寺

法泉寺

山梨県甲府市和田町にある臨済宗妙心寺派の寺が武田信玄が定めた甲府五山のひとつ、法泉寺。室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)に仕え、尊氏の信任を得て尊氏の姪を妻とした武田信武(たけだのぶたけ)の開山。信武は、信玄から数えて9代前になります。

甲府五山で、武田勝頼の菩提寺

法泉寺

武田信玄は先祖ゆかりの法泉寺を甲府五山のひとつに加えて、手厚く保護し、伽藍を整備。
天目山で自刃した信玄の四男・武田勝頼(たけだかつより/信玄と由布姫との間に産まれた子)の葬儀は、京の妙心寺で執り行なわれていますが、葬儀に参列した法泉寺の快岳禅師が武田家が帰依した妙心寺の南化玄興(なんかげんこう/妙心寺58世)の力を借りて、武田勝頼の首級(しゅきゅう/歯髪ともいわれている)をもらい受け、法泉寺境内に埋葬。
勝頼の戒名は「法泉寺殿泰山安公大居士」になっています。

武田勝頼を密かに埋葬した「歯髪塚」の目印にと山桜が植えられたと伝えられ今も勝頼の墓には山桜の木が寄り添っています。
この山桜は近郊に自生するものとは種類が異なり、奈良の吉野山のものと同種の吉野桜。

織田信長が本能寺で非業の最期を遂げた後、甲斐を支配した徳川家康は、甲斐の内情に精通する法泉寺の3世・快岳禅師を重用し、その尽力もあって武田家の遺臣を家康の軍属とし(山県昌景の軍装を赤に統一した精鋭部隊「赤備え」は、井伊直政の配下に、また武田家旗本出身者とその配下の同心を八王子千人同心など家康直属の部隊にも採用)、江戸時代を通じて重用しています。
その功績もあり、以後、法泉寺では50年目ごとに武田勝頼の大遠忌を行なっています。

武田信玄が京都五山や鎌倉五山に倣って定めた甲府五山(府中五山)は、法泉寺(ほうせんじ/息子・勝頼が中興開基で、勝頼の歯髪を埋葬)のほか、円光院(正室・三条夫人の菩提寺)、長禅寺(大井夫人の墓)、能成寺(武田氏第15代当主・武田信守の墓)、東光寺(息子・武田義信の墓)の5ヶ寺。
法泉寺から躑躅ヶ崎の居館跡・武田神社へは徒歩で25分ほどですが、他の4ヶ寺とは少し離れています(武田神社から円光院へは徒歩15分)。

法泉寺
武田勝頼の「歯髪塚」と傍らに咲く山桜
法泉寺
名称 法泉寺/ほうせんじ
所在地 山梨県甲府市和田町2595
関連HP 法泉寺公式ホームページ
電車・バスで JR中央本線甲府駅北口からタクシーで15分
ドライブで 中央自動車道甲府昭和ICから約6km、または一宮御坂ICから約15km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 法泉寺 TEL:055-252-6128/FAX:055-252-6103
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
東光寺

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長禅寺

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