山梨県北杜市の大泉高原にある中世の山城の城跡が、谷戸城跡(やとじょうせき)。城は平安時代末期から鎌倉時代初期の要害城の典型で、15世紀以降も城として使われていたことが出土品から判明。武田信玄が造った軍用道路「信玄棒道」(しんげんぼうみち)の要衝にもあたり、周辺は歴史景観保全地区となっています。
武田氏の祖、源清光が築いた八ヶ岳眺望、絶景の城
武田冠者・源義清(みなもとのよしきよ)の長男、源清光(みなもとのきよみつ/武田清光=武田氏の祖)の居城。
常陸国那珂郡武田郷(茨城県ひたちなか市武田)を本拠とした源義清は、境界争いなどから甲斐国に配流となり、天承元年(1131年)に甲斐国に入り、市河庄、青島庄の下司として、平塩(現在の市川三郷町市川大門/熊野神社に「甲斐源氏旧跡」碑があります)に居を定めたと伝えられます。
その後、長男・源清光は八ヶ岳山麓の逸見荘(現・北杜市)へ進出し、逸見牧(官牧)で馬を飼育。
現在の長坂町に居館を築きますが、詰城として谷戸城を築いて甲斐国での勢力拡大に務めます。
江戸時代後期に編纂された『甲斐国志』によれば、源清光は正治元年(1199年)に谷戸城で没しています(北杜市長坂町の清光寺が墓所)。
治承4年(1180年)、源頼朝が挙兵し、石橋山の戦いを行なった直後には、源清光の次男・武田信義(たけだのぶよし)が信濃国伊那郡に出兵し、平家方と戦い、このとき諏訪大社と結びついたとされています。
時を経た戦国時代、武田氏滅亡後の天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん=織田信長の遺領を巡る徳川家康と北条氏直の対立)では、北条氏軍勢が入城し、谷戸城を改築したと推測されています。
現在は国の史跡にも指定され、郭や土塁などを復元。
土塁上、外苑を巡る遊歩道などからは赤岳を主峰とする八ヶ岳や富士山、南アルプスを眺望。
また城跡には約400本のソメイヨシノやヤエザクラなどが植栽され、例年4月中旬にはお花見も楽しむことができます。
谷戸城跡の出土品は、史跡公園に隣接する北杜市考古資料館に展示されています。
近くには縄文時代の集落跡や祭祀施設が発掘される金生遺跡(きんせいいせき)、信玄棒道などもあるので、時間が許せばあわせて見学を。
谷戸城 | |
名称 | 谷戸城/やとじょう |
所在地 | 山梨県北杜市大泉町谷戸 |
関連HP | 北杜市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR長坂駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 中央自動車道長坂ICから約3.5km |
駐車場 | 谷戸城公園駐車場、北杜市考古資料館(20台/無料)を利用 |
問い合わせ | 小淵沢駅観光案内所 TEL:0551-30-7866 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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