坂東(ばんどう)は、中世には坂東武士団の活躍の場。足利幕府を開いた足利氏のルーツは下野国足利庄(現・栃木県足利市)。戦国時代には北条家の城下町・小田原は、日本最大の城郭都市でした。豊臣秀吉による徳川家康の関東移封で江戸城が拡張され、江戸に幕府が開かれると水戸城が御三家・水戸徳川家の居城となったのです。
茨城県
常陸国(茨城県)は、古代から拓けた地で、利根川、那珂川の舟運なども活用され、商業も盛んな土地でした。
藩政時代には水戸城が御三家・水戸徳川家の居城、そして水戸藩の藩庁となっています。
水戸城
徳川御三家・水戸徳川家の居城
所在地:茨城県水戸市三の丸
旧国名:常陸国
築城年:建久年間(1190年〜1198年)、源頼朝配下の大掾資幹(だいじょうすけもと=馬場資幹)が、那珂川の舟運の河湊が活用できる馬場(現在の水戸)に城を構えたのが始まり
内容:御三家・水戸徳川家の居城、名古屋城、和歌山城に比べると石垣がないので質素な感じも
近世の城郭ながら掘割と土塁で防御するという異色の城です(北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城)
徳川御三家の名古屋城、和歌山城が実戦的な城であるのに対し、江戸に近いこともあって水戸城は政庁としての機能が重視された造り
栃木県
関東七名城の宇都宮城は選から漏れ、足利氏発祥の地でもある足利氏館が「日本100名城」に選定されています。
足利氏館
足利一族の発祥の地
所在地:栃木県足利市家富町2220
旧国名:下野国
築城年:源姓足利氏2代目の足利義兼(あしかがよしかね)が建久7年(1196年)に館に持仏堂を造ったのが始まり
内容:京に室町幕府(足利尊氏)を開いた足利家の居館
館内に寺を築いたため、現在も周囲が堀で囲まれた鑁阿寺として中世の貴重な遺構(防御のために築かれた水堀や土塁)が現存しています
現在の鑁阿寺(ばんなじ)の寺名は、居館を築いた鎌倉幕府の御家人・足利義兼の戒名で、足利義氏(あしかがよしうじ)が伽藍を整備、足利氏の氏寺に
群馬県
群馬県(上野国)は戦国時代に上杉謙信、武田信玄、そして小田原を本拠とする北条家の覇権争いの地でした。
その攻防の地となったのが箕輪城、そして金山城です。
箕輪城
上杉、武田、北条の攻防の地で、西上野(にしこうずけ)の中核的な城
所在地:高崎市箕郷町西明屋・東明屋
旧国名:上野国
築城年:永正9年(1512年)、長野業尚(ながのなりなお)と推測
内容:東西500m、南北1100m、総面積36haという戦国時代の広大な平山城
北条、上杉、武田が凌ぎ合う境界線で、戦国時代には武田信玄の上野国(こうずけのくに)支配の拠点となったことも
井伊直政が城を高崎に移すまで、西上野(にしこうずけ)の中核的な城郭として存在(現存する城跡のほとんどは、井伊直政の時代に造られたもの)
金山城
金山(標高235.8m)に築かれた戦国時代の山城
所在地:群馬県太田市
旧国名:上野国
築城年:文明元年(1469年)、新田一族の岩松家純(いわまついえずみ)が築城
内容:関東七名城の一つで、小田原を本拠とする北条家の北関東支配の拠点となった山城
永禄6年(1563年)に武田信玄、翌永禄7年(1564年)上杉謙信がの攻撃を退けるなど、難攻不落を誇った城です
発掘調査で石垣を多用した山城の姿が浮かび上がってきました
埼玉県
埼玉県は武蔵国になりますが、戦国時代には小田原の北条家が北関東進出の拠点としていました。
日本100名城に選定の鉢形城、そして川越城も戦国時代には北条家の支配下でした。
鉢形城
豊臣秀吉の小田原攻めの際には1ヶ月もの籠城戦を展開
所在地:埼玉県大里郡寄居町鉢形2496
旧国名:武蔵国
築城年:文明8年(1476年)、関東管領山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)の家臣・長尾景春が築城
内容:関東管領山内上杉氏(上杉憲寛、上杉憲政)の居城でしたが、河越城の戦いで北条氏が勝利後は、北条氏康四男・北条氏邦(ほうじょううじくに)が鉢形城へ入城
小田原を本拠とする北条氏の武蔵国・上野国支配の拠点となった城で、下野国遠征の足がかりにもなりましたが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条家が滅びて廃城となっています
豊臣秀吉の小田原攻めの際には、5万ともいわれる大軍に囲まれた鉢形城が3500人の精鋭で1ヶ月籠城戦を展開
川越城(河越城)
太田道真、太田道灌父子が築城、江戸時代には川越藩の藩庁に
所在地:埼玉県川越市郭町2-13-1
旧国名:武蔵国
築城年:扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として、長禄元(1457年)、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城
内容:小田原を本拠とする北条氏綱とは、関東支配のため4度にわたる河越城(川越城)争奪戦が展開(「河越城の戦い」)、ついに河越城を手に入れ武蔵国支配の拠点にしています
江戸時代には川越藩の藩庁となった城で、嘉永元年(1848年)に松平斉典(まつだいらなりつね)が造営した本丸御殿の一部が現存
千葉県
『南総里見八犬伝』から里見家、そして千葉城の千葉家のイメージが強い千葉県ですが、日本100名城に選定されるのは近世の城郭である佐倉城です。
佐倉城
千葉県にある数少ない近世城郭の遺構
所在地:千葉県佐倉市城内町官有無番地
旧国名:下総国
築城年:慶長15年(1610年)、徳川家康の命を受けた土井利勝が築城
内容:印旛沼を外堀の一部に使い、主要な武家屋敷を囲む総構え(台地下の堀)を備え石垣を使わない城で、佐倉藩の藩庁
本丸、二の丸、三の丸、その外縁部の椎木曲輪、天神曲輪、西出丸、南出丸などが現存
東京都
東京都の城といえば、徳川幕府を支えた江戸城ですが、もう一つ、忘れてならないのが八王子城。
日本屈指の山城です。
江戸城
徳川治世の中心となった城は、麹町台地の東端に
所在地:東京都千代田区千代田1-1
旧国名:武蔵国
築城年:長禄元年(1457年)、太田道灌が築いた平山城が始まり
内容:太田道灌が築き、徳川家康が天下普請(てんかぶしん)で近世的な城郭へと拡張した江戸城
本丸、二の丸部分は皇居東御苑となっていて見学が可能です
天守は、江戸時代初めの50年間だけ存在し、明暦3年(1657年)に起こった明暦の大火(振り袖火事)の飛び火で本丸が全焼した際に、焼け落ちた後、再建されていません
八王子城
標高446mの深沢山(城山)に築城された中世の山城
所在地:東京都八王子市元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町
旧国名:武蔵国
築城年:北条氏照(ほうじょううじてる)が元亀2年(1571年)頃から築城を開始し、天正15年(1587年)頃、本拠に
内容:小田原の北条氏の支城として機能した八王子城、深沢山(現在の城山)に築城された巨大な中世の山城です
築城から間もない天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの精鋭1万5000人に攻められて落城
延喜16年(916年)、山の頂に八王子権現が祀られたのが八王子という名の由来
神奈川県
神奈川県を代表する城といえば、小田原城。
城下町をすっぽりと取り込んだ総構えの城は難攻不落で名高い名城。
豊臣秀吉の小田原攻めで開城し、江戸時代には規模を縮小して小田原藩の藩庁となりました。
小田原城
北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた城
所在地:神奈川県小田原市城内6-1
旧国名:相模国
築城年:明応4年(1495年)、北条早雲が伊豆韮山から小田原城に入城(異説もあります)
内容:北条家の居城として君臨した小田原城で、4代・北条氏政、そして5代・北条氏直は、豊臣秀吉の侵攻に備えて町全体を取り囲む巨大な総構えを構築
豊臣秀吉の小田原攻めでは、18万の大軍で小田原を包囲しついに落城し、北条氏は滅亡
江戸時代には東海道の要衝、江戸の西の防備として大久保氏が城を守りました
日本100名城 関東地区10城 | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag