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日本100名城 関東地区10城

日本100名城 関東地区10城

坂東(ばんどう)は、中世には坂東武士団の活躍の場。足利幕府を開いた足利氏のルーツは下野国足利庄(現・栃木県足利市)。戦国時代には北条家の城下町・小田原は、日本最大の城郭都市でした。豊臣秀吉による徳川家康の関東移封で江戸城が拡張され、江戸に幕府が開かれると水戸城が御三家・水戸徳川家の居城となったのです。

茨城県

常陸国(茨城県)は、古代から拓けた地で、利根川、那珂川の舟運なども活用され、商業も盛んな土地でした。
藩政時代には水戸城が御三家・水戸徳川家の居城、そして水戸藩の藩庁となっています。

水戸城

徳川御三家・水戸徳川家の居城

所在地:茨城県水戸市三の丸
旧国名:常陸国
築城年:建久年間(1190年〜1198年)、源頼朝配下の大掾資幹(だいじょうすけもと=馬場資幹)が、那珂川の舟運の河湊が活用できる馬場(現在の水戸)に城を構えたのが始まり
内容:御三家・水戸徳川家の居城、名古屋城、和歌山城に比べると石垣がないので質素な感じも
近世の城郭ながら掘割と土塁で防御するという異色の城です(北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城)
徳川御三家の名古屋城、和歌山城が実戦的な城であるのに対し、江戸に近いこともあって水戸城は政庁としての機能が重視された造り

水戸城

徳川御三家・水戸徳川家の居城、水戸城は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城。大規模な土塁と深い堀によって防備された城で、江戸時代には三階櫓が代用天守として水戸のシンボルになっていました。土塁や堀、藩校弘道館や薬医門など

栃木県

関東七名城の宇都宮城は選から漏れ、足利氏発祥の地でもある足利氏館が「日本100名城」に選定されています。

足利氏館

足利一族の発祥の地

所在地:栃木県足利市家富町2220
旧国名:下野国
築城年:源姓足利氏2代目の足利義兼(あしかがよしかね)が建久7年(1196年)に館に持仏堂を造ったのが始まり
内容:京に室町幕府(足利尊氏)を開いた足利家の居館
館内に寺を築いたため、現在も周囲が堀で囲まれた鑁阿寺として中世の貴重な遺構(防御のために築かれた水堀や土塁)が現存しています
現在の鑁阿寺(ばんなじ)の寺名は、居館を築いた鎌倉幕府の御家人・足利義兼の戒名で、足利義氏(あしかがよしうじ)が伽藍を整備、足利氏の氏寺に

鑁阿寺(足利氏館跡)

大日如来を本尊とする真言宗の古刹で正式名は金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼうばんなじ)。室町幕府を開いた足利尊氏で一躍有名になった足利一族の発祥の地で「足利氏館」として「日本100名城」にも選定されています。源姓

群馬県

群馬県(上野国)は戦国時代に上杉謙信、武田信玄、そして小田原を本拠とする北条家の覇権争いの地でした。
その攻防の地となったのが箕輪城、そして金山城です。

箕輪城

上杉、武田、北条の攻防の地で、西上野(にしこうずけ)の中核的な城

所在地:高崎市箕郷町西明屋・東明屋
旧国名:上野国
築城年:永正9年(1512年)、長野業尚(ながのなりなお)と推測
内容:東西500m、南北1100m、総面積36haという戦国時代の広大な平山城
北条、上杉、武田が凌ぎ合う境界線で、戦国時代には武田信玄の上野国(こうずけのくに)支配の拠点となったことも
井伊直政が城を高崎に移すまで、西上野(にしこうずけ)の中核的な城郭として存在(現存する城跡のほとんどは、井伊直政の時代に造られたもの)

箕輪城

榛名山東南麓に築かれた中世の平山城が、箕輪城(みのわじょう)。東西500m、南北1100m、総面積36haという広大な城で、「日本100名城」にも選定。相模・小田原城が本拠の北条氏康、甲斐・府中(甲府)の武田信玄、越後の上杉政虎が虎視眈々と

金山城

金山(標高235.8m)に築かれた戦国時代の山城

所在地:群馬県太田市
旧国名:上野国
築城年:文明元年(1469年)、新田一族の岩松家純(いわまついえずみ)が築城
内容:関東七名城の一つで、小田原を本拠とする北条家の北関東支配の拠点となった山城
永禄6年(1563年)に武田信玄、翌永禄7年(1564年)上杉謙信がの攻撃を退けるなど、難攻不落を誇った城です
発掘調査で石垣を多用した山城の姿が浮かび上がってきました

金山城

太田市のシンボルである金山(標高235.8m)に築かれた戦国時代の城が、金山城(かなやまじょう)。97.8haが国の史跡となる大規模な山城で、日本100名城に選定。本丸跡とされている山上に新田神社が鎮座しています。中世の山城ながら、石垣や石

埼玉県

埼玉県は武蔵国になりますが、戦国時代には小田原の北条家が北関東進出の拠点としていました。
日本100名城に選定の鉢形城、そして川越城も戦国時代には北条家の支配下でした。

鉢形城

豊臣秀吉の小田原攻めの際には1ヶ月もの籠城戦を展開

所在地:埼玉県大里郡寄居町鉢形2496
旧国名:武蔵国
築城年:文明8年(1476年)、関東管領山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)の家臣・長尾景春が築城
内容:関東管領山内上杉氏(上杉憲寛、上杉憲政)の居城でしたが、河越城の戦いで北条氏が勝利後は、北条氏康四男・北条氏邦(ほうじょううじくに)が鉢形城へ入城
小田原を本拠とする北条氏の武蔵国・上野国支配の拠点となった城で、下野国遠征の足がかりにもなりましたが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条家が滅びて廃城となっています
豊臣秀吉の小田原攻めの際には、5万ともいわれる大軍に囲まれた鉢形城が3500人の精鋭で1ヶ月籠城戦を展開

鉢形城

埼玉県大里郡寄居町にある中世の城跡。荒川と深沢川の合流地点の断崖上という天然の要害を活かし、1476(文明8)年、関東管領山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)の家臣・長尾景春が築城。武田信玄、上杉謙信との攻防もあった城は、往時の姿を残し、国の

川越城(河越城)

太田道真、太田道灌父子が築城、江戸時代には川越藩の藩庁に

所在地:埼玉県川越市郭町2-13-1
旧国名:武蔵国
築城年:扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として、長禄元(1457年)、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城
内容:小田原を本拠とする北条氏綱とは、関東支配のため4度にわたる河越城(川越城)争奪戦が展開(「河越城の戦い」)、ついに河越城を手に入れ武蔵国支配の拠点にしています
江戸時代には川越藩の藩庁となった城で、嘉永元年(1848年)に松平斉典(まつだいらなりつね)が造営した本丸御殿の一部が現存

川越城

扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として1457(長禄元)年、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城した平山城。江戸時代には川越藩の藩庁となっています。明治6年の廃城令で建物は破却されましたが本丸

川越城本丸御殿

関東七名城、日本100名城に選定される川越城。現存する川越城本丸御殿は、二の丸にあった御殿が幕末の弘化3年(1846年) に焼失したため、嘉永元年(1848年)、松平斉典(まつだいら なりつね)が再建したもので、その一部として大玄関・大広間

千葉県

『南総里見八犬伝』から里見家、そして千葉城の千葉家のイメージが強い千葉県ですが、日本100名城に選定されるのは近世の城郭である佐倉城です。

佐倉城

千葉県にある数少ない近世城郭の遺構

所在地:千葉県佐倉市城内町官有無番地
旧国名:下総国
築城年:慶長15年(1610年)、徳川家康の命を受けた土井利勝が築城
内容:印旛沼を外堀の一部に使い、主要な武家屋敷を囲む総構え(台地下の堀)を備え石垣を使わない城で、佐倉藩の藩庁
本丸、二の丸、三の丸、その外縁部の椎木曲輪、天神曲輪、西出丸、南出丸などが現存

佐倉城跡(佐倉城址公園)

鹿島川と高崎川の合流点、小高い台地に築城された佐倉城。千葉県にある数少ない近世城郭の遺構で「日本100名城」に選定。佐倉城は、1610(慶長15)年、徳川家康の命を受け江戸幕府防衛上の拠点として土井利勝(どいとしかつ)が小見川領から佐倉領に

東京都

東京都の城といえば、徳川幕府を支えた江戸城ですが、もう一つ、忘れてならないのが八王子城。
日本屈指の山城です。

江戸城

徳川治世の中心となった城は、麹町台地の東端に

所在地:東京都千代田区千代田1-1
旧国名:武蔵国
築城年:長禄元年(1457年)、太田道灌が築いた平山城が始まり
内容:太田道灌が築き、徳川家康が天下普請(てんかぶしん)で近世的な城郭へと拡張した江戸城
本丸、二の丸部分は皇居東御苑となっていて見学が可能です
天守は、江戸時代初めの50年間だけ存在し、明暦3年(1657年)に起こった明暦の大火(振り袖火事)の飛び火で本丸が全焼した際に、焼け落ちた後、再建されていません

江戸城を楽しむ 3×3

東京周辺に住む人でも江戸城に行ったことがある人、江戸城をじっくり見たことがある人は少ないかと。江戸城は、西の丸部分がいわゆる皇居で、皇居一般参観の許可(インターネット申請も可能)が必要。天守台跡があるのが皇居東御苑、さらには北の丸(北の丸公

大名気取りで、江戸城に登城しよう!

全国の大名が参勤交代で江戸参府の際、江戸城に入城するのは正門である大手門から。まずは大手門でから厳しい入城チェックが始まりますが、往時をイメージしながら、江戸城本丸の表御殿へと登城し、有名な松之大廊下を歩き、天守台にも上ってみましょう。この

江戸城本丸跡(皇居東御苑)

皇居東御苑内の広々とした芝生が広がる場所は、江戸城の本丸跡。表御殿、中奥(なかおく)、大奥に分かれ、表御殿は、諸役人が執務する幕府行政の中心機関で、将軍の謁見なども行なわれた建物。最も格式の高い「大広間」は正月などに諸大名が参集する場所にな

江戸城天守台(皇居東御苑)

江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされています。現在

八王子城

標高446mの深沢山(城山)に築城された中世の山城

所在地:東京都八王子市元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町
旧国名:武蔵国
築城年:北条氏照(ほうじょううじてる)が元亀2年(1571年)頃から築城を開始し、天正15年(1587年)頃、本拠に
内容:小田原の北条氏の支城として機能した八王子城、深沢山(現在の城山)に築城された巨大な中世の山城です
築城から間もない天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの精鋭1万5000人に攻められて落城
延喜16年(916年)、山の頂に八王子権現が祀られたのが八王子という名の由来

八王子城

北条氏の本城である小田原城の支城として標高446mの深沢山(城山)に築城された中世の山城。高尾山とは中央本線・中央自動車道が通る谷を隔てて北側の山上に位置する城です。916(延喜16)年、山の頂に八王子権現が祀られたのが八王子という名の由来

神奈川県

神奈川県を代表する城といえば、小田原城。
城下町をすっぽりと取り込んだ総構えの城は難攻不落で名高い名城。
豊臣秀吉の小田原攻めで開城し、江戸時代には規模を縮小して小田原藩の藩庁となりました。

小田原城

北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた

所在地:神奈川県小田原市城内6-1
旧国名:相模国
築城年:明応4年(1495年)、北条早雲が伊豆韮山から小田原城に入城(異説もあります)
内容:北条家の居城として君臨した小田原城で、4代・北条氏政、そして5代・北条氏直は、豊臣秀吉の侵攻に備えて町全体を取り囲む巨大な総構えを構築
豊臣秀吉の小田原攻めでは、18万の大軍で小田原を包囲しついに落城し、北条氏は滅亡
江戸時代には東海道の要衝、江戸の西の防備として大久保氏が城を守りました

小田原城址公園

北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた小田原城。後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、小田原高校の建つ八幡山に詰めの城を配しました。豊臣秀吉の小田原攻めに対抗するために周囲9kmにも及ぶ土塁と空堀の外郭を築き、

日本100名城 関東地区10城

坂東(ばんどう)は、中世には坂東武士団の活躍の場。足利幕府を開いた足利氏のルーツは下野国足利庄(現・栃木県足利市)。戦国時代には北条家の城下町・小田原は、日本最大の城郭都市でした。豊臣秀吉による徳川家康の関東移封で江戸城が拡張され、江戸に幕

日本100名城 関東地区10城
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東京三大名城とは!?

東京都にある城跡のうち、日本100名城に選定されるのは、江戸城(東京都市代田区)だけ。続日本100名城選定は、八王子城、滝山城(いずれも八王子市)と、品川台場(港区)ですが、品川台場は幕末の江戸湾防備で築かれた砲台のため、江戸城、八王子城、

千葉県三大名城とは!?

千葉県内の城で日本100名城に選定されるのが下総国の佐倉城のみ。そして続日本100名城に選ばれるのが下総国の本佐倉城、上総国の大多喜城です。この3城が千葉県三大名城となりますが、下総国の城は藩政時代には江戸防備の拠点となるため、譜代大名の居

神奈川県三大名城とは!?

神奈川県の名城といえば、北条五代の居城で総構えとして知られる小田原城が筆頭。日本100名城の小田原城と、続日本100名城に選定される小机城、石垣山城が神奈川県三大名城ということに。石垣山城は、豊臣秀吉が小田原攻めの際に一夜で築いたといわれる

埼玉県五大名城とは!?

埼玉県内には日本100名城に選定される、鉢形城(寄居町)、川越城(川越市)、続日本100名城に選定の忍城(おしじょう=映画『のぼうの城』舞台)、そして戦国時代の遺構が残り比企城館跡群として国の史跡に指定される杉山城、菅谷館があり、それが埼玉

茨城県三大名城とは!?

藩政時代の常陸国(現・茨城県)には、小さな藩が数多く割拠していましたが、名城として残るのは日本100名城の水戸城(水戸藩)、続日本100名城の笠間城(笠間藩)と土浦城(土浦藩)の3城。江戸時代の遺構が残るのは、茨城県内では、土浦城の太鼓門、

群馬県五大名城とは!?

戦国時代に、上杉、真田、北条、武田などの攻防の地となったのが上州。群馬県内にある日本100名城選定の城は、箕輪城、金山城の2城。続日本100名城が名胡桃城(なぐるみじょう)、沼田城、岩櫃城(いわびつじょう)の3城で、この5城が群馬県五大名城

栃木県二大名城とは!?

室町幕府を開いた足利尊氏のルーツが栃木県足利市。関東平野の北部に位置し、戦国時代には上杉謙信も侵入した下野国(しもつけのくに)ですが、日本100名城に選定されるのは足利市の足利氏館、続日本100名城が佐野市の唐沢山城で、この2城が栃木県二大

 

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