愛媛県喜多郡内子町にある、重要文化財上芳我家住宅を再生したのが、木蝋資料館上芳我邸(もくろうしりょうかんかみはがてい)。江戸時代後半から明治にかけ蝋商として財を成した本芳我家の分家のひとつで、最大規模の製蠟業者。明治27年の築の建物は国の重要文化財に指定。
明治時代の製蠟業隆盛と、蝋商の暮らしぶりを知る
建物は、木蝋(晒蝋)隆盛期の明治27年の築で、製蝋用具とともに国の重要文化財に指定。
坪庭を取り囲むように主屋、仕舞部屋、離れなどが建ち並び、回廊で結すぶという造りで、贅を尽くした離れ座敷など、明治時代の製蠟業隆盛と、蝋商の暮らしぶりがよくわかります。
展示棟では、木蝋の生産を模型や映像でわかりやすく紹介しています。
内子では本芳我、上芳我を筆頭として二十数軒の製蠟業者がありました。
木蝋の産地は、仙台、会津、松江など全国にありましたが、内子もウルシ科の櫨(はぜ)の実から採取する櫨蝋(はぜろう=櫨の実の皮から得られる木蝋を晒し、漂白したもの)の一大生産地。
櫨蝋の蝋燭(ろうそく)は力強い灯火で煤(すす)が出ないことから灯火として重宝されたのです。
水に落ちた蝋花の結晶からヒントを得て芳我弥三右衛門(はがやざえもん=本芳我家)が、伊予式蝋花箱晒法(いよしきろうばなはこさらしほう)を考案。
品質のいい白蝋(はくろう=日光でさらした木蝋)が生産できるようになったことで発展し、内子で生産された木蝋は、肱川の支流小田川の水運で肱川河口に運ばれ、さらに瀬戸内海を大型帆船で神戸へと運ばれて海外にも輸出されたのです。
伊予式蝋花箱晒法とは、櫨の実から搾った生蝋(きろう)を煮溶かし、冷水に注いでかき混ぜると、花のような結晶(蝋花)が誕生。
それを蝋蓋(ろうぶた=浅い木箱)に並べ、繰り返し日光に晒して、良質な蝋燭を生産する製造法。
この伊予式蝋花箱晒法で使われる蝋蓋は、本芳我家で5万箱、分家の上芳我家には2万5000箱が稼動し、財を築いたのです。
製蠟業で栄えた一帯は、内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区(四国で最初の重伝建として選定)に選定されています。
四国を代表する、レトロな家並みが現存、その中核的な施設が、この木蝋資料館上芳我邸です。
木蝋資料館上芳我邸 | |
名称 | 木蝋資料館上芳我邸/もくろうしりょうかんかみはがてい |
所在地 | 愛媛県喜多郡内子町内子2696 |
関連HP | 内子町公式ホームページ |
電車・バスで | JR内子駅から徒歩20分 |
ドライブで | 松山自動車道内子五十崎ICから約2km |
駐車場 | 町並駐車場(80台/有料) |
問い合わせ | 木蝋資料館上芳我邸 TEL:0893-44-2771 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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