東海道で唯一現存する旅籠(はたご)「大橋屋」(街道時代の屋号は「伊右エ門鯉屋」)が残るのが赤坂宿。大火後の1733年(享保18年)時点で赤坂宿には83軒の旅籠がありましたが、大橋屋は大旅籠に属する部類。間口23間、奥行き9間の「大橋屋」は、平成27年に営業終了、保存され内部見学が可能です。
旅籠も現存する東海道の宿場町
大橋屋の建物は1716(正徳6)年頃の建築で、2階には遊女の部屋も残されているので、赤坂宿ボランティアガイドによるガイド(無料、所要約15〜30分)で内部の見学を。
赤坂宿は江戸から36番目の宿場で、関川神社境内には、芭蕉の「夏の月御油より出でて赤坂や」の句も立っています。
赤坂宿と御油宿の近さ(徒歩15分)を詠ったもので、ふたつの宿場が近いこともあって、旅籠では客引き合戦が繰り広げられたのです。
赤坂宿は「御油や赤坂吉田がなけりゃ 親に勘当うけやせぬ」(俗謡)と歌われたように遊女の多い歓楽的な宿場でした。
遊女の多くは伊勢からやって来た女性で、旅籠では伊勢訛りの言葉が飛び交っていたと想像されます。
ケンペルもその著『江戸参府紀行』で赤坂宿の賑わいぶりに触れています。
また『束海道中膝栗毛』で弥次喜多がお伊勢参りの途中で泊まったのも赤坂宿(前夜は浜松宿、翌日は宮宿に泊)。
広重の『東海道五拾三次』に描かれた旅籠「大橋屋」
旅籠「大橋屋」は歌川広重の『東海道五拾三次』に描かれた「赤阪・旅舎招婦ノ図」のモデルになった旅籠と推測されています。
広重の版画には旅籠の中庭越しに見た内部の様子が描かれていますが、中庭に見える石灯籠は今も現存。
また赤坂宿の旅籠をイメージした休憩施設「赤坂休憩所よらまいかん」も宿場内につくられています。
赤坂宿 | |
名称 | 赤坂宿/あかさかじゅく |
所在地 | 愛知県豊川市音羽町赤坂 |
関連HP | 豊川市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄名古屋本線名電赤坂駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東名高速道路音羽蒲郡ICから約2km |
駐車場 | 赤坂休憩所よらまいかん駐車場(無料) |
問い合わせ | 豊川市観光協会 TEL:0533-89-2206/FAX:0533-89-2276 |
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