史跡小牧山

濃尾平野の東部にある標高85.9mの独立峰が小牧山。織田信長は1563(永禄6)年に小牧山城を築城し、清洲から居城を移していますが、4年後に美濃の斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤龍興)を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、短い間で小牧山城は廃城となっています。

信長の居城、小牧・長久手合戦の陣城の跡

廃城となった後も、濃尾平野を見渡す要衝は、戦略的な拠点となり、1584(天正12)年には小牧・長久手の合戦の陣城も築かれ、家康は小牧山に本陣を構えています。

江戸時代には清洲城天守台跡と同様に尾張藩の保護を受け、城の遺構が今も現存しています。

なぜ尾張藩が保護したかといえば、小牧山は家康の「御勝利御開運の御陣跡」だったため。
江戸時代には一般の入山が禁じられる聖地となっていたのです。

小牧山は現在公園として整備され、頂には模擬天守の小牧市歴史館(小牧城)が建っています。
山麓から山頂へは整備された園路が通じているので散策にも絶好。

小牧山南麓にあった信長時代の城下町や信長居館跡は現在は田畑となっていて往時の姿を探すことができません。
武家屋敷は小牧山の麓(帯曲輪地区)と、現在の小牧中学の一帯(新町遺跡)だったことが判明し、上御園遺跡が商工業者の町人町だったと推測されています。

現在の小牧市街は尾張藩の上街道(木曽街道)整備で宿駅として発展したもの。

史跡小牧山
名称史跡小牧山/しせきこまきやま
所在地愛知県小牧市小牧1-1
関連HP小牧市公式ホームページ
電車・バスで名鉄小牧線小牧駅から徒歩25分。または、名鉄バス・小牧巡回バスで小牧市役所前下車、徒歩10分
ドライブで東名高速道路小牧ICから約2km
駐車場小牧山北駐車場(50台/2時間まで無料、以降有料)
問い合わせ小牧市教育委員会 TEL:0568-76-1623/td>
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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