徳川家康公像(岡崎公園)

徳川家康公像(岡崎公園)

愛知県岡崎市、岡崎公園内に立つのが、徳川家康公像。徳川家康は、天文11年12月26日(1543年1月31日)、岡崎公園内二の丸(現在の能楽堂あたり)で生誕。昭和40年、『家康公350年祭』で建立されたのが岡崎公園の徳川家康公像で、碧海郡桜井町出身の彫塑家・高村泰正の制作。

家康生誕の岡崎城二の丸跡に建つ銅像

徳川家康公像が立つのは、生誕の地である岡崎城二の丸跡。
二の丸跡には、本多忠勝公像、松平元康公像、しかみ像などもあって、まさに「神君出生の城」といった感じです。

徳川家康公像は、岡崎ライオンズクラブが創立5周年を記念し、『家康公350年祭』にあわせて寄贈したもの。
目尻のシワ、穏やかな表情などから、天下統一後、晩年の姿と推測できます。

徳川家康は岡崎城で生誕するも、母親とは3歳で生き別れし、天文16年(1547年)、数え年6歳で今川氏への人質として送られ(移送途中に田原城で義母の父・戸田康光の裏切りにより、尾張国の織田信秀の人質に)、その後、織田信秀の庶長子・織田信広との人質交換(名古屋市南区・笠寺観音)で、お供7人が随行して駿府に居住(家康8歳、父親とは死別)、今川氏の下で元服し、正室・瀬名(築山殿=今川義元の姪)を娶っています(元服した翌年に岡崎への一時的な里帰りが許されています)。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が討たれたことでようやく岡崎城に戻っていますが(家康19歳)、多感な少年時代から青春時代を駿府(当時は国内有数に繁栄した町でした)で過ごしたことから、駿府を大御所時代(晩年)の居城と定めたのかもしれません。

岡崎市では名鉄東岡崎駅前のペデストリアンデッキに騎馬像の徳川家康公像がありますが、こちらは若き日の(家康25歳)の家康像です。

徳川家康公像(岡崎公園)
名称 徳川家康公像(岡崎公園)/とくがわいえやすこうぞう(おかざきこうえん)
所在地 愛知県岡崎市康生町561
関連HP 岡崎市公式観光サイト
電車・バスで 名鉄東岡崎駅から徒歩15分。または岡崎公園駅から徒歩10分
ドライブで 東名高速道路岡崎ICから約3km
駐車場 岡崎公園駐車場(229台/有料、8:30〜21:30)
問い合わせ 岡崎城 TEL:0564-22-2122/FAX:0564-22-2122
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
徳川家康公像

徳川家康公像

愛知県岡崎市の名鉄東岡崎駅前、ペデストリアンデッキ上に設置されるのが、徳川家康公像。乙川リバーフロント地区整備事業の一環、新たな岡崎市のシンボルとして令和元年11月2日に除幕された新しい像で、松平から徳川に改姓した25歳当時の姿を描いた騎馬

「神君出生の城」岡崎城

大河ドラマなどで好評を博す徳川家康。名古屋市では織田信長、豊臣秀吉とともに三英傑に数えられていますが、出身は尾張国(愛知県西部)ではなく、三河国(愛知県東部)の岡崎。岡崎城を拠点に三河を統一していますが、「神君出生の城」といわれるのが岡崎城

龍城神社

龍城神社

愛知県岡崎市康生町、徳川家康誕生の城、岡崎城の本丸に鎮座する神社が龍城神社(たつきじんじゃ)。明治9年に、 岡崎城三の丸にあった東照宮と岡崎城本丸に遷座、本多忠勝を祭神とする映世神社を合祀し、築城時に龍が出現して龍ヶ城とした故事か

三河武士のやかた家康館

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・本丸跡に建つのが、三河武士のやかた家康館。徳川300年を築いた徳川家康の人間像と、その歴史を家康とともに歩んだ三河武士を紹介する博物館。岡崎城の本丸跡、復興天守に寄り添うように建つ、ミュージアムで

岡崎城

岡崎城(愛知県岡崎市)は、徳川家康が出生した城として有名。天守は明治時代に取り壊され、現在の天守は、昭和34年の再建で、1617年(元和3)に本多忠利が再建したものをモデルとしたもの。2〜4階は、江戸時代の岡崎を紹介する資料館として公開され

岡崎公園

岡崎市の中心に位置する岡崎城跡に整備された公園。城塁や内堀が残り、往時を偲ばれる天守閣も再建されています。岡崎城は家康が生まれた城として知られ、公園内には「家康産湯の井戸」などゆかりの史跡が数多く残り、家康公の銅像や遺言碑も立てられています

東照公遺訓碑

東照公遺訓碑

愛知県岡崎市、岡崎公園の中心、岡崎城本丸跡に立つのが、東照公遺訓碑(とうしょうこういくんひ)。徳川家康は没後、東照大権現として祀られたため、東照公とは徳川家康のこと。つまりは徳川家康の遺言を刻んだ石碑で、昭和11年4月16日に建立されたもの

東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)

東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった一角、岡崎城の坂谷曲輪(さかたにくるわ)に現存するのが、東照公産湯の井戸(徳川家康産湯の井戸)。東照公とは、死後、東照大権現として祀られた徳川家康のことで、天文11年12月26日(543年1月31日)、岡

東照公えな塚

東照公えな塚

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・坂谷曲輪(さかたにくるわ)にあるのが、東照公えな塚。徳川家康は死後、仏式の山王一実神道により、東照大権現という神号で祀られましたが、家康の胞衣(えな=へその緒・胎盤)を埋めたと伝わるのが、生誕地で

天下人家康公出世ベンチ

天下人家康公出世ベンチ

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった家康生誕の城・岡崎城の持仏堂曲輪にあるのが、天下人家康公出世ベンチ。岡崎は、室町時代後期に遡るという石工の町。ベンチは岡崎の石工の技を集めたもので、天守を背後に、左に若き日の家康(竹千代像)、右に天下人と

岡崎公園・からくり時計塔

岡崎公園・からくり時計塔

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった岡崎城・本丸跡に建つ三河武士のやかた家康館。三河武士のやかた家康館前にあるのが、からくり時計塔。平成2年に完成した高さ5.5mの時計塔で、9:00〜18:00の間の毎時00分・30分に徳川家康が能を舞い、

岡崎公園・廊下橋

岡崎公園・廊下橋

愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった家康生誕の城・岡崎城の持仏堂曲輪(じぶつどうくるわ)と本丸・天守を結ぶ橋が、廊下橋。江戸時代には屋根付きの廊下橋が架橋され、明治44年に土橋となりましたが、大正9年、現在の石造アーチ橋に架け替えられていま

 

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