東山魁夷(ひがしやまかいい)の描いた『道』のモチーフとなった種差海岸。まもなく太陽が昇ろうとしている夏の早朝の風景を、実にシンプルな色彩で表現した『道』。実は種差海岸の海岸線に並走する現在の青森県道1号(八戸階上線)がモチーフになっています。
道は舗装されても、往時の風景が現存
昭和15年、八戸を訪れた東山魁夷は、種差海岸に放牧される馬をスケッチしていました。
海沿いに天然の芝生が広がる美しい種差海岸の景観は、放牧がつくり出したもの。
東山魁夷は、戦後そのスケッチを見ているとき、ひとすじの道が脳裏に浮かんできました。
ところが実際に描こうとすると、「道だけの構図で描けるものだろうかと不安」(『東山魁夷画文集 私の風景』)だったとか。
「ひとすじの道が、私の心に在った。夏の早朝の野の道である。青森県種差海岸の牧場でのスケッチを見ている時、その道が浮かんできたのである。正面の丘に灯台の見える牧場のスケッチ。その柵や、放牧の馬や、灯台を取り去って、道だけを描いてみたらーと思いついた時から、ひとすじの道の姿が心から離れなくなった」(『東山魁夷画文集 私の風景』)。
昭和25年に、種差海岸を再訪(訪れた観光客と馬とが混在しているという風景は、昭和40年ころまで続いていました)。
そうして完成したのが『道』だったのです。
東山魁夷が描いた『道』は、一見すると何気ない道のように見えますが、じっくり鑑賞すると、轍(わだち)の跡や小石など、驚くほど繊細に描がれています。
「遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもあり、絶望と希望を織りまぜてはるかに続く一筋の道であった――遠くの丘の上の空をすこし明るくして、遠くの道がやや右上りに画面の外に消えていくようにすることによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった」(『東山魁夷画文集 私の風景』)。
実際に描いた地に立ってみると、道の奥に見えるはずの鮫角灯台が省略されていることに気が付きます。
まさに描かれているのは、東山魁夷の心象風景なのです。
東山魁夷が、独自の境地を確立する契機となった『道』。
昭和25年、まだまだ戦後という時代に、東山魁夷がひとつの『道』を示したのかもしれません。
東山魁夷『道』の碑 | |
名称 | 東山魁夷『道』の碑/ひがしやまかいい『みち』のひ |
所在地 | 青森県八戸市鮫町日蔭沢 |
関連HP | 八戸市公式ホームページ |
電車・バスで | JR八戸線鮫駅から種差海岸遊覧バスうみねこ号大須賀海岸下車、徒歩3分。JR八戸線陸奥白浜駅から徒歩35分 |
ドライブで | 八戸自動車道八戸ICから約13.8km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 八戸市観光課 TEL:0178-46-4040/FAX:0178-46-5600 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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