風待ち舘

風待ち舘

江戸時代から明治時代にかけて、北前船の風待ち湊として栄えた青森県西津軽郡深浦町。700石積みの弁財船を3分の1のスケールで復元した、全長7.5mの模型を中心に、北前船が航海に使った道具、船主が航海の安全を祈願して寺社に奉納した船絵馬、北前船で運ばれた古伊万里、往時の海路図などを展示しています。

北前船の風待ち湊として栄えた深浦の歴史を学ぶ

JR五能線の観光拠点ともなっている深浦町は、江戸時代から明治時代にかけて(帆船時代)、大坂(大阪)と蝦夷地(北海道)の物資の輸送で活躍した北前船の風待ち湊として繁栄した湊町。
行合崎という岬の名も、沖を北前船が行き交うことが名の由来で日和見山(ひよりみやま)は、文字通り、船の出発を決めるため、日和(天候)を見定めた場所です。
鳥居岬も、岬の岩が鳥居に似ていることから、北前船の船乗りたちが命名した岬名なんだとか。

町内の円覚寺には、船絵馬が多数奉納され、宝篋印塔も、北前船のバラスト(重石)として越前三国で積まれた福井の笏谷石(しゃくだにいし)のものが残されています。

深浦町の日和見山跡、円覚寺奉納海上信仰資料、円覚寺宝篋印塔、行合崎、鳥居崎などは、全国の北前船寄港地で認定を受ける日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産となっており、風待ち舘は、そのビジターセンター的な役割を担っています。

700石積みの弁財船は、700石の米が積載できるということなので、今のトン数に換算すると、全長22.5m、およそ100トン級のかなり大きな船だったことがわかります(新潟県佐渡市には全長24mの帆船「白山丸」が実物大で復元されています)。

青森県内では、深浦町、鰺ヶ沢町が認定されています。

風待ち舘
名称 風待ち舘/かぜまちかん
所在地 青森県西津軽郡深浦町深浦浜町272-1
関連HP 深浦町観光公式サイト
電車・バスで JR深浦駅から徒歩20分
ドライブで 秋田自動車道能代南ICから約67km。東北自動車道浪岡ICから約78km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 風待ち舘 TEL:0173-74-3553/FAX:0173-82-0016
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
深浦海岸(五能線)

深浦海岸(五能線)

青森県深浦町の深浦海岸を走るJR五能線は、鉄道の車窓風景の中で、国内屈指の絶景といわれる場所です。とくに深浦海岸・行合崎(ゆきあいざき)、塩見崎・黒島あたりの海岸は沿線随一の景勝地。併走する国道101号の車窓からの眺めも雄大ですが、時間が許

行合崎

行合崎

青森県西津軽郡深浦町、海岸沿いを走る五能線の車窓から眺める景勝地のひとつが行合崎。行合崎の名は、風待ち湊として繁栄した深浦湊を利用する北前船が岬の沖で行き合うことに由来し、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集

円覚寺(深浦町)

円覚寺(深浦町)

青森県西津軽郡深浦町にある真言宗醍醐派の寺、円覚寺。大同2年(807年)、征夷大将軍・坂上田村麿創建と伝わる古刹です。近世には深浦湊が風待ち湊として栄え、廻船問屋などからの奉納された船絵馬などが残り、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ

深浦町歴史民俗資料館・美術館

深浦町歴史民俗資料館・美術館

青森県西津軽郡深浦町深浦、深浦港を望む猿神鼻に建つのが深浦町歴史民俗資料館・美術館。深浦は、江戸時代から明治時代に、北前船の風待ち湊として栄えた歴史を有していますが、古代から現代までの深浦町の歴史を解説する資料館と、郷土の画家の作品などを展

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ