不動池
えびの高原(宮崎県えびの市)にある水蒸気爆発で誕生した池、不動池。池面の標高1228m、深さ9.3m、周囲700mで、酸性が強いため池水の色はコバルトブルー。池畔にはミヤマキリシマの群落もあります。不動池、六観音御池、白…
えびの高原(宮崎県えびの市)にある水蒸気爆発で誕生した池、不動池。池面の標高1228m、深さ9.3m、周囲700mで、酸性が強いため池水の色はコバルトブルー。池畔にはミヤマキリシマの群落もあります。不動池、六観音御池、白…
宮崎と熊本の県境、国道221号(肥後街道・飫肥街道)の加久藤峠(堀切峠・標高698m)に架かるらせん状の橋がえびのループ橋(霧の大橋)。加久藤峠は東西15km、南北5kmの加久藤カルデラの外輪山北端で、北側の傾斜は緩やか…
宮崎県日之影町の戸川地区は日之影川沿いの山間にひっそりとたたずむ戸数数戸という静かな集落ですが、石垣の村として有名。日之影町役場から日之影川に沿って7kmほど上流へ走ると集落全体が見事な石積みで形成されている戸川地区があ…
宮崎県日向市(ひゅうがし)の坪谷川(つぼたにがわ)の清流のほとりに建つ若山牧水(わかやまぼくすい)の生家。若山牧水(本名:若山繁)は、明治18年8月24日、東臼杵郡東郷村(現・日向市東郷町)の医師・若山立蔵の長男として生…
宮崎・熊本県境に広がる県立矢岳高原の展望スポットが宮崎県えびの市側の矢岳高原展望台。矢岳高原ベルトンオートキャンプ場の南側に位置し、展望デッキからは加久藤(かくとう)カルデラの雄大な田園風景が広がります。えびの市街地から…
宮崎県日之影町(ひのかげちょう)を流れる五ヶ瀬川に架かる全長463.2m、日本最大の鉄筋コンクリート固定アーチ橋が天翔大橋。アーチスパン260m、水面から橋面までの高さ143mは、ともに鉄筋コンクリート造橋の中で国内最大…
宮崎県日之影町(ひのかげちょう)には大小250もの高さ100mを超える橋がある「絶景橋の町」。なかでも日之影川に架かる国道218号「日之影バイパス」の青雲橋は昭和59年に完成したアーチ型橋で、水面からの高さ137m、長さ…
毎年10月第2日曜、大分県豊後高田市で『田染荘収穫祭・荘園マルシェ』が行なわれます。田染荘(たしぶのしょう)は、天平15年(743年)の墾田永年私財法の成立で水田が生まれ、後に宇佐八幡宮の荘園となった地。今も中世の田園風…
島根県吉賀町柿木村大井谷(おおいだに)地区にある「日本の棚田百選」選定の棚田が大井谷の棚田(大井谷棚田)。室町時代から江戸時代に築かれた棚田は、10haほど広がっていますが、現在は農家の高齢化、後継者不足により6haに6…
島根県浜田市にある近世の城郭が浜田城跡で、「続日本100名城」に選定。元和5年(1619年)に初代・浜田藩主の古田重治(ふるたしげはる)が築城し、慶応2年(1866年)7月18日、長州軍の攻略の際に松平武聡(まつだいらた…
三瓶山(さんべさん/1126.2m)の西山麓、池の原(島根県大田市)にあり、三瓶山の3700年前の火山活動にともう火砕流によって誕生したと推測される堰止め湖が浮布池(うきぬのいけ)。白鳳13年(684年)に起こった白鳳大…
島根県雲南市掛合町(かけやまち)を流れる三刀屋川の上流にある瀑布群。下流から猿飛滝、滝尻滝、紅葉滝、河鹿滝、姥滝、姫滝、八塩滝、八汐滝と8つの滝が連続するので八重滝と呼ばれ、龍頭ヶ滝とセットで「龍頭八重滝」として日本の滝…
島根県雲南市、鳥屋ヶ丸(686.1m)に源を発する滝谷川は滝谷の名の通り、巨瀑を有する谷。その巨瀑が「龍頭八重滝」として日本の滝百選に選定の龍頭ヶ滝(りゅうずがたき)で、落差40mの雄滝と30mの雌滝があり、中国地方随一…
大田市温泉津伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定される温泉津(ゆのつ)。レトロな温泉街で、ひときわ目立つ大正8年に建てられた木造洋館の共同湯を再生したカフェが薬師湯旧館・震湯カフェ内蔵丞。脱衣場だったスペースを改装し内…
温泉のある津(港)というのが地名の由来の島根県大田市にあるレトロな温泉地、温泉津(ゆのつ)。2ヶ所の共同湯のひとつ薬師湯は、明治5年の浜田大地震の地殻変動で湧出。震湯、あるいは内藤家の湯ということで、藤乃湯とも呼ばれてい…
宝永年間(1704年〜1708年)に3窯が開かれ、北前船の寄港した江戸時代に隆盛を極めた温泉津(ゆのつ/島根県大田市)の温泉津焼。温泉津やきものの里は温泉津焼の歴史資料を展示し、さらに創作室を設けて陶芸体験も楽しめる施設…
「温泉のある津(港)」という地名の通りに北前船で栄えた温泉津(ゆのつ/島根県太田市)は、開湯1300年を誇る古湯の町。世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産でもある温泉町の共同湯は、元湯と薬師湯の2ヶ所。…
石見銀山と温泉津・沖泊を結んだ銀山街道が温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)。毛利元就(もうりもとなり)が永禄5年(1562年)、石見国平定後に銀の積出港を手狭となった輌ヶ浦(仁摩)から温泉津に移してから輸送路となった街…