松山西口関門
宇陀松山伝統的建造物群保存地区の一角にある小さな門。現存する唯一の宇陀松山城(続日本100名城)の遺構で、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦の功績で、福島高晴(ふくしまたかはる=福島正則の弟)が宇陀松山城に入城した際に…
宇陀松山伝統的建造物群保存地区の一角にある小さな門。現存する唯一の宇陀松山城(続日本100名城)の遺構で、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦の功績で、福島高晴(ふくしまたかはる=福島正則の弟)が宇陀松山城に入城した際に…
宇陀松山城(「続日本100名城」選定)は、奈良県宇陀市にあった中世の山城。城下町は、宇陀松山伝統的建造物群保存地区となっています。その松山城下町の出入口にあたる西口関門(黒門)から続く大手筋正面に位置するのが春日門。町人…
奈良県大和郡山市に城跡がある大和郡山城(やまとこおりやまじょう)は天正8年(1580年)大和を統一した信長に臣従した筒井順慶(つついじゅんけい)の築城に始まる大和では最大規模の城郭。江戸時代には郡山藩の藩庁にもなった城で…
奈良県明日香村の飛鳥稲渕宮殿跡近くにある棚田が稲渕の棚田で、農林水産省の「日本の棚田百選」にも選定されています。明日香村らしく、この棚田も中世(平安~室町時代)に開墾されという歴史あるもの。300枚あまりの田畑は、奥飛鳥…
奈良県桜井市にある三輪山(467.1m)は、『古事記』や『日本書紀』に、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮座する山として大神神社(おおみわじんじ…
古墳時代前期の大規模集落である奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)。南東端に位置するホケノ山古墳は3世紀前半頃に造られた日本でも最も古い部類に属する前方後円墳。一帯には古墳時代初頭から前期に造られた古墳が数多く残され…
大阪府岬町の淡輪(たんなわ)にある西陵古墳(さいりょうこふん)は、全長210mの巨大な前方後円墳。大きさだけでいえば、近くにある宇度墓古墳より大きく、全国ランキングの26位。周囲には堀が巡っていますが、その南側が畑と地続…
創建は定かでありませんが、延喜11年(911年)、醍醐天皇の勅命で創建と伝えられる大阪府岬町の古社、船守神社。淡輪(たんのわ)の氏神で、紀船守(きのふなもり)、宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)の被葬者と推測される五十瓊敷…
大阪府の南端にある岬町、南海本線の淡輪(たんのわ)駅前には巨大な前方後円墳があり、これが、宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)。宇度墓古墳は、垂仁天皇第2皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされ、宮内庁の「…
文治元年(1185年)、四天王寺の別当・慈円に請われて法然が結んだ草庵が始まりという大阪市天王寺区の古刹が一心寺。慶長元年(1596年)、三河出身で徳川家康に見出され佐倉・清光寺に住持したという僧侶・本誉存牟(ほんよぞん…
通天閣の真下に建つ坂田三吉(阪田三吉)の顕彰碑が王将碑。坂田三吉は、明治3年に堺県大鳥郡舳松村(現在の大阪府堺市堺区協和町)に生まれ、将棋の鬼才として活躍。昭和21年に没するも昭和30年に日本将棋連盟より王将位を追贈され…
大阪府池田市の五月山公園内を山上へと上がる五月山ドライブウェイ(五月山公園幹線園路/バイクは終日通行禁止)途中、標高130mの位置にあるのが秀望台。ヘアピンカーブの曲がり角、つまりは尾根の突端にあるため眺望は抜群ですが、…
大阪府池田市の五月山公園内を山上へと上がる五月山ドライブウェイ(五月山公園幹線園路/バイクは終日通行禁止)途中、標高190mの位置にあるのが五月台。山麓が標高50m以下なので、比高は150m近くあることになります。広い駐…
池田市の中央にある標高314.9mの五月山を中心に整備された公園が五月山公園(さつきやまこうえん)。昭和24年から自然公園として整備され、桜、ツツジ、紅葉の名所で、園内にはハイキングコースや「池田市五月山動物園」、「都市…
葛城山(858m)の北麓、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ、修験道の始祖)の開創と伝えられる古刹が大阪府岸和田市の牛滝山大威徳寺で、かつては48もの僧房をもつ葛城修験の一霊場として栄えました。古くから、紅葉…
建武元年(1334年)、楠正成(くすのきまさしげ)が和田高家(にぎたたかいえ=楠木正季の三男、楠木正成の甥)に命じ、岸と呼ばれていた地に城を築いたのが岸和田城の始まり。和田氏はこの地を根拠地としたことから「岸の和田氏」と…
大阪府池田市城山町にある中世の城跡を公園化したのが池田城跡公園。室町時代から戦国時代にかけて旧豊島郡(現池田、豊中、箕面市周辺)を支配していた池田城主・池田氏の居城跡を整備して歴史公園としたもの。池田市で唯一の池泉回遊式…
5世紀頃、呉の国から渡来して機織りや染色の技術を日本に伝えたという呉服姫(くれはひめ=呉織媛/くれはとりのひめ)を祀る大阪府池田市の古社が呉服神社(くれはじんじゃ)。絹織物を呉服物というのは、呉服姫が伝えたからなのだとか…