喜多院(川越大師)
830(天長7)年、慈覚大師・円仁(えんにん)により創建された古刹が喜多院(川越大師)。1296(永仁4)年、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じ、慈恵大師(元三大師)を祀って関東天台の中心的な存在となりました。さらに1599…
830(天長7)年、慈覚大師・円仁(えんにん)により創建された古刹が喜多院(川越大師)。1296(永仁4)年、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じ、慈恵大師(元三大師)を祀って関東天台の中心的な存在となりました。さらに1599…
環境省が行なっている全国の「巨樹・巨木林調査」で、栄えある巨樹ナンバーワンに輝くのが、蒲生のクス(かもうのクス/蒲生の大楠)。調査は、地上から130cmの位置での幹周りを調べるもので、蒲生のクスは24.22m。姶良市蒲生…
佐賀市街の北にそびえる標高501.7mの金立山に鎮座するのが金立神社上宮。金立山は、秦の始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の薬求めて辿り着いた霊山との伝承があります。祭神は保食神(うけもちのかみ)、岡象売命(みずはめのみこ…
三保の松原(静岡県)、気比の松原(福井県)と並び、「日本三大松原」に数えられる景勝地で国の特別名勝になっているのが唐津市の虹の松原。松浦川の河口から浜玉町にかけて5km、幅400m〜700mで、230haにも渡る長大な松…
龍宮神社は、長崎鼻の高台に鎮座する神社で、浦島太郎伝説の地。龍宮城は海のかなたの琉球(沖縄)。周辺の海岸はウミガメの産卵地ということで浦島太郎伝説が生まれたと推測されます。祭神は『古事記』上巻、『山幸彦と海幸彦』に登場す…
唐津市の西南部にある縄文時代の遺跡で、日本最古の水稲耕作の跡が発見される貴重な遺跡です。周辺には宇木汲田遺跡、桜馬場遺跡などもあり、古くから拓けた地であるため、『魏志倭人伝』で、最初に本土に上陸する末盧国(まつろこく/ま…
神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓遠征(新羅遠征)に際して海路の安全を祈願し、凱旋時に捧げたと伝えられる宝鏡を発見し祀ったのが始まりと伝えられる古社が唐津神社。社殿の創建は1186(文治2)年。平安時代の唐津(松浦荘)は…
反射炉とは壁や天井の面などで輻射させ熱を増幅させて鉄などを溶かす炉のこと。長瀬町の日新小学校の校庭は、12代藩主鍋島直正の命を受け1850(嘉永3)年、大銃製造方という役所を設置し、国内初の洋式反射炉が築かれた築地反射炉…
松山市浄瑠璃町にある真言宗醍醐派の古刹が八坂寺(四国八十八ヶ所霊場第47番札所)。修験道の祖・役小角(えんのおづぬ=役行者)により開かれ、701(大宝元)年、文武天皇の勅願により伊予の国司、越智玉興が創建したと伝わります…
松山市浄瑠璃町にある真言宗豊山派の古刹が浄瑠璃寺(四国八十八ヶ所霊場第46番札所)。四国八十八ヶ所霊場の寺が松山市内には8ヶ寺ありますが、その打ち始めの寺が浄瑠璃寺です。708(和銅元)年、行基が薬師如来を祀ったのが始ま…
久万高原町七鳥(ななとり)の標高550mの山中にに建つのが真言宗豊山派の岩屋寺(四国八十八ヶ所霊場第45番札所)。巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場ながら、山号は海岸山。815(弘仁6)年、空海…
久万高原町の中央部にある真言宗豊山派の古刹が大宝寺(大寶寺/四国八十八ヶ所霊場第44番札所)。四国霊場八十八ヶ所霊場巡りのちょうど中間に位置するため、「中札所」といわれています。標高490mの高原に建ち、老樹が生い茂る境…
欽明天皇(539年〜571年)の御代、天皇の勅願で創建したという古刹が西予市宇和町に建つ明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)。734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となりま…
伊予松山藩2代藩主・蒲生忠知(がもうただとも)が築いた邸宅跡を庭園としたのが松山城二之丸史跡庭園。絵図を基に、邸宅の間取りと庭園を再現しています。松山城は、山上にあり、太平の世には不便であることから、伊予松山藩の政庁とし…
養老牛市街から清里峠(裏摩周展望台入口)へと向かう道道は、日本離れした風景でたびたびCMに登場する絶景ポイント。地元で「牛文字」で有名なモアン山(標高365.7m)、西部劇の舞台のようなモアン牧場(JA計根別の育成牧場)…
竹瓦温泉の向い、オープンカフェのTAKEYA脇から流川通りに延びる細い小路が竹瓦小路。車の進入は無理というこの細い小路には、別府最古はもちろんのこと、現存する日本最古という木製アーケードがかかっており、市営の竹瓦温泉とと…
門司港第一船だまりの入口に架かる歩行者専用の跳ね橋がブルーウィングもじ。船の航行にあわせて午前2回(10:00・11:00)、午後4回(13:00・14:00・15:00・16:00)、1日計6回、橋が音楽にあわせて跳ね…
天智天皇(てんじてんのう)が約1300年前に九州の政治の中心として創建した役所が大宰府政庁(だざいふせいちょう)。奈良から平安時代にかけて九州を治め、わが国の西の守りとしての防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割…