旧青木家那須別邸(とちぎ明治の森記念館)
明治22年、第1次山縣内閣の外務大臣に就任した対英条約改正交渉(不平等条約の是正)を行ない、駐独公使、駐イギリス公使としても活躍した青木周藏(あおきしゅうぞう)が、那須高原(現・那須塩原市)に築いた別荘が旧青木家那須別邸…
明治22年、第1次山縣内閣の外務大臣に就任した対英条約改正交渉(不平等条約の是正)を行ない、駐独公使、駐イギリス公使としても活躍した青木周藏(あおきしゅうぞう)が、那須高原(現・那須塩原市)に築いた別荘が旧青木家那須別邸…
大正7年に黒磯駅前(現・那須塩原市)に建てられた黒磯銀行本店。黒磯初の石造りの銀行建築で、外壁は正面が芦野石、他は大谷石でできています。石積みを基調としていますが、おしゃれなアーチ型飾り、櫛形風ペディメントを備えています…
群馬県の県都、前橋市にある平城で、江戸時代には前橋藩の藩庁にもなった城が前橋城(厩橋城)。天文3年(1534年)の利根川氾濫後にすでにあった石倉城の三の丸を修復し、城としたのが始まりというが定かでありません。戦国時代には…
、常陸国筑波郡多気(現・茨城県つくば市北条多気)にあった中世の山城跡。城山(じょうやま)と称される標高129.4mの多気山(たけやま)山上に築かれた山城で、壕の跡などが残されていますが、史料などが少なく、幻の城といわれる…
茨城県常陸太田市にある中世の城跡が太田城で、川越城(埼玉県川越市)、忍城(埼玉県行田市)、前橋城(群馬県前橋市)、金山城(群馬県太田市)、唐沢山城(栃木県佐野市)、宇都宮城(栃木県宇都宮市)と並んで関東七名城のひとつ。別…
古くは下総国(しもうさのくに)だった茨城県古河市にあった中世の城が古河城。南北朝時代には北朝方の足利氏の拠点となった城で、江戸時代には古河藩の藩庁となり、日光社参の将軍の宿泊所にもなりましたが、現在ではその遺構はほとんど…
下総国猿島郡(現・茨城県坂東市逆井)にあった戦国時代の平城。天正5年(1577年)、玉縄城主・北条氏繁(ほうじょうやすしげ)が、北条氏の北関東への攻略の拠点として築城していますが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田…
茨城県立歴史館(茨城県水戸市)の正門を入ってすぐ、旧水海道小学校本館が移築保存されています。舟運で栄え進取の気性がある水海道(みつかいどう=現・常総市)から移築された、八角形の塔屋と深い軒出しが印象的な木造二階建ての疑洋…
奈良時代の天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため聖武天皇の詔により、諸国に建立された国分尼寺(正式名は法華滅罪之寺)のうち下野国(しもつけのくに=現在の栃木県)に建立されたのが、下野国分尼寺で、その下野国分尼寺…
奈良時代の天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため聖武天皇の詔により、諸国に建立された国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺)。国府に近く、水害の憂いなく長久安穏の場で、国華として仰ぎ見るのによい地形ということから…
古代に毛野国(けのくに)は、後に上毛野国(かみつけぬくに=現在の群馬県)と下毛野国(しもつけぬくに=現在の栃木県)に分国。さらに上野国(こうずけのくに)、下野国(しもつけのくに)と呼称が変化しています。下野国の国府、政庁…
栃木県佐野市、佐野市街地の北にそびえる唐沢山(241m)の山頂の本丸を構え、一帯に曲輪が配された連郭式山城で、「関東一の山城」と称される城が唐沢山城。国の史跡に指定されるほか、「続日本100名城」にも選定されています。ま…
栃木県の県都、宇都宮市にある宇都宮城は、江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった城で、関東七名城にも数えられています。天正18年(1590年)7月26日、豊臣秀吉は宇都宮城に入城し、伊達政宗など東北や関東の諸将の拝謁を受け、戦後…
栃木県宇都宮市長岡町にある軟質の長岡石(長岡層)の岩肌を利用した横穴墓群が長岡百穴(ながおかひゃくあな)。長岡百穴古墳といわれるように7世紀前期頃に造成された古代の墓。長岡石(軽石凝灰岩)の岩肌を利用して、縦横各1m、奥…
栃木県宇都宮市の市街地にある歴史的建造物。江戸時代末期から醤油醸造業を営み、明治時代には肥料業で財を成した豪商の篠原家。奥州街道の宇都宮城入口にあたる現在の場所で、商売を行なっていました。戦災で、残念ながら醤油蔵などは、…
出雲大社(いずもおおやしろ)の本殿は八足門、楼門をくぐったなかにあり、一般の参拝者は八足門や周囲の瑞垣の外から眺めることになります。高さ24mの本殿は神社建築では日本一の高さを誇りますが、古代には東大寺大仏殿をしのぐ48…
島根県松江市大庭町にある神魂神社(かもすじんじゃ)は、出雲国造り家の祖を祀る古社で、神社自体が古代出雲文化を今に伝える文化遺産。「大庭の大宮さん」と地元では呼ばれています。祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、伊弉諾尊(い…
松江藩主で茶人として名高い松江藩7代藩主・松平治郷(不昧/ふまい)が、安永8年(1779年)、茶の湯を楽しむために松江城下・殿町の有澤家本邸に建てた茶室が明々庵(めいめいあん)。東京の松平伯邸に移されていましたが昭和3年…