旧古河鉱業若松ビル
北九州港の若戸渡船若松渡場のある南海岸通りから東海岸通りにかけての海岸には、明治25年に若松港が築港された時代の石積護岸が残されています。この護岸、筑豊炭鉱の石炭を積み出すために築かれたもの。同様に、大正8年築の旧古河鉱…
北九州港の若戸渡船若松渡場のある南海岸通りから東海岸通りにかけての海岸には、明治25年に若松港が築港された時代の石積護岸が残されています。この護岸、筑豊炭鉱の石炭を積み出すために築かれたもの。同様に、大正8年築の旧古河鉱…
北九州港(北九州市若松区響町)にある一風変わった歴史を有する防波堤。太平洋戦争終結後、帝国海軍の艦船は戦時賠償として連合国に引き渡されたり、解体されたりしましたが、一部は船体そのものを防波堤の一部として再生しています。そ…
京築地域(けいちくちいき=北九州地方の南東側)は、豊の国といわれた古代から畿内と九州、大陸とを結ぶ交易の要衝。7世紀末〜8世紀初頭には、豊の国が周防灘に面する豊前と豊後に分割されています。豊前の国府が置かれた場所は長い間…
天平13年(741年)に聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって建てられた国分尼寺のひとつ、豊前国に建てられた国分尼寺の跡と推測されている場所が福岡県みやこ町徳政にある豊前国分尼寺跡。豊前国分寺跡の東200mほどの場所に位置…
関門海峡の最狭部、北九州市門司区の古城山(174.9m)にある中世の山城の跡。一帯は和布刈公園(めかりこうえん)として整備されています。壇ノ浦合戦の直前に平家側が築いたのが始まりという。その後、藤原親房が門司氏を名乗り、…
柳川藩(柳河藩)10万9200石の藩庁が置かれた城が、現在の福岡県柳川市にあった柳川城で、水郷柳川の堀を生かした平城。蒲池氏の城主時代に大友氏陣中で「柳川三年肥後三月肥前久留米は朝茶の子」と戯れ歌に歌われた難攻不落の城で…
福岡平野の東を流れる御笠川(みかさがわ)に沿ってのびる月隈丘陵(つきぐまきゅうりょう)の標高30mの丘陵上にある弥生時代の共同墓地の遺跡が金隈遺跡(かねのくまいせき)。金隈遺跡から出土したのは、弥生時代の甕棺墓(かめかん…
天平13年(741年)に聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって諸国に建てられた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつで、豊前国に建てられた国分寺の跡が福岡県京都郡みやこ町にある豊前国分寺跡。現存する堂宇は後継寺院として藩政…
福岡市西区野方にある弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡が野方遺跡。周辺は野方台中央公園として整備され、野方遺跡住居跡展示館が建てられています。遺跡は、『魏志倭人伝』にも記載の古代国家、伊都国のあった糸島平野と奴国(…
文永11年(1274年)、元・高麗連合軍は3万の大軍で博多湾西部に上陸(文永の役)。その後、博多の海岸線には防塁を築いていますが、保存整備されて見学が可能なのが元寇防塁跡(今津地区)。弘安4年(1281年)の2回目の蒙古…
福岡平野中央からやや東寄り、福岡空港の南西、福岡市博多区板付にある縄文時代末期から弥生時代後期にかけての二重環濠集落が板付遺跡(いたづけいせき)。環濠集落とは、周囲に水濠を巡らせたムラのこと。縄文時代晩期から弥生時代後期…
久留米藩を250年治めた、21万石の藩主有馬氏の居城跡が福岡県久留米市にある久留米城跡。筑後川沿いの小高い岡に築かれた平山城で、天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州国割で、毛利秀包(もうりひでかね=小早川秀包)が3万…
旧秋田商会ビルは、大正4年に建てられた海運会社・秋田商会の事務所兼住居だったもの。秋田商会は日清戦争以後に興った海外進出機運にのって下関に創設された海運会社で、海外貿易を主な業務にしていました。屋根の塔屋が印象的な和洋折…
下関南部町郵便局(しものせきなべちょうゆうびんきょく)は、明治33年に建てられた下関に現存するもっとも古い西洋建築物。逓信省技師の三橋四郎の設計。外壁のレンガは60cmの厚さで、現在も現役の郵便局として使用されており、国…
綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)は、山口県下関市綾羅木にある、弥生時代前期を中心とする遺跡で、国の史跡。一帯は史跡公園として整備され、下関市立考古博物館も建っています。本州西端の響灘(ひびきなだ)に面する地域に位置し、…
古代には赤間関(あかまがせき)として大陸への玄関口として栄えた山口県下関市。渡来人の文化もその多くは赤間関を経て瀬戸内や大和、さらには東国へと流入したと推測できます。綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)に隣接して建ち、弥生…
関門海峡の北西、山口県下関市の響灘(ひびきなだ)に面する海岸砂丘にある弥生時代の埋葬跡が土井ヶ浜遺跡。弥生人は「縄文人が進化」という定説を覆し、「渡来・混血」説を導き出すに至る画期的な発見をもたらした、弥生時代文化像を大…
駐日英国大使アーネスト・サトウの本国への具申から明治39年に下関に建てられたイギリス領事館。ついで長崎、函館にも建てられましたが、現在も残っているのは長崎と下関だけ。旧下関英国領事館として保全され、国の重要文化財になって…