法皇山横穴古墳
石川県加賀市勅使町法皇山にある横穴墓が、法皇山横穴古墳(ほうおうざんよこあなこふん)。法皇山塊の凝灰岩を掘削して築かれた6世紀後半〜7世紀末(古墳時代末〜飛鳥時代)の横穴墓で、79基が現存。未開口を含めると300基ほどと…
石川県加賀市勅使町法皇山にある横穴墓が、法皇山横穴古墳(ほうおうざんよこあなこふん)。法皇山塊の凝灰岩を掘削して築かれた6世紀後半〜7世紀末(古墳時代末〜飛鳥時代)の横穴墓で、79基が現存。未開口を含めると300基ほどと…
兵庫県明石市明石公園、明石藩の藩庁だった明石城に現存する藩政時代の櫓のひとつが、巽櫓(たつみやぐら)。本丸東南端に、巽の方角に築かれた櫓というのが名の由来です。巽櫓、代用天守の坤櫓(ひつじさるやぐら)は日本に12基しか現…
兵庫県明石市明石公園、明石藩の藩庁だった明石城に現存する藩政時代の櫓のひとつが、坤櫓(ひつじさるやぐら)。明石城の本丸には天守を構えず、本丸御殿があっただけで、代用天守的な性格を有した三重櫓が、本丸未申の角(南西端)に築…
愛知県半田市中村町1丁目、ミツカンミュージアムの北側にある豪商の建物群が、小栗家住宅(おぐりけじゅうたく)。明治3年築という豪商・小栗家の店舗兼住宅(旧萬三商店事務所)など明治時代前期、大正時代築の12棟が国の重要文化財…
愛知県岡崎市伝馬通1丁目、岡崎公園(岡崎城跡)の東、旧東海道(岡崎二十七曲がり)・総門通り沿いに建つレトロな洋館が、岡崎信用金庫資料館。大正6年、岡崎銀行本店として建てられたルネサンス様式の建物で、レンガと御影石を使った…
愛知県豊田市平戸橋町(豊田市民芸館)、明治時代に名古屋で開催された博覧会の貴賓館として建造された洋館と伝わるのが、旧井上家住宅西洋館。井上家(井上徳三郎)は名古屋の両替商で、蓄えた財で西加茂郡猿投村(現・豊田市井上町)に…
愛知県岡崎市、東公園の西端にあるのが、旧本多忠次邸。旧岡崎藩主・本多家(本多忠勝系)の末裔にあたる本多忠次が、昭和7年、東京・世田谷に建てた邸宅(洋館)と壁泉(へきせん)の一部を移築復原したもの。館内には当時の家具、ステ…
広島県三原市本郷町にある小早川氏の本拠となった山城が、新高山城(にいたかやまじょう)。小早川氏の居城としては、沼田川(ぬたがわ)の対岸に高山城がありましたが、12歳で当主となった小早川隆景(こばやかわたかかげ)は、天文2…
天守が現存し、国宝に指定される松江城(松江市)を筆頭に、月山富田城(がっさんとだじょう/安来市)、津和野城(津和野町)の3城が日本100名城に選定、さらに藩政時代に浜田藩の藩庁が置かれた浜田城(浜田市)が続日本100名城…
大分県由布市湯布院町川西にある昭和53年まで診療所として実際に使われていた病院建築を再生した資料館が、旧日野医院。日野家は、江戸時代中期から代々続く医家。建物は、本館、病棟、離れからなり、国の重要文化財として指定され、近…
ヤマト王権の大王墓(だいおうぼ)とされる、あるいはその可能性のある古墳は、奈良県と大阪府に22基。最大の大仙陵古墳は、宮内庁が仁徳天皇の陵に治定していますが、被葬者は今も謎。22基の大王墓を年代順に並べてみると、時代的な…
奈良県高市郡明日香村平田にある古墳が、平田梅山古墳。墳丘長140mという前方後円墳で、古墳時代後期の築造と推測されています。同時代の古墳としては巨大なため、ヤマト王権最終期の大王墓と推測され、宮内庁は檜隈坂合陵(ひのくま…
岡山県の名城は、名城の博物館ともいえる内容で、日本三大平山城の津山城(津山市)、日本三大山城の備中松山城(高梁市)、7世紀築城と推測される古代山城の鬼ノ城(きのじょう/総社市)、後楽園のある岡山城が日本100名城選定、そ…
大分県佐伯市鶴見、豊後水道にのびるリアス式海岸・鶴見半島の先端に整備される、鶴御崎自然公園。鶴御埼灯台のすぐ横に残るレンガ造りの建物が、海軍望楼。明治27年7月25日に開戦した日清戦争の際、北洋艦隊(清国艦隊)の瀬戸内海…
大分県別府市上田の湯町、昭和3年3月28日完成のレトロな建物が、別府市公会堂。設計は、旧別府市電報電話局(児童館)の設計も手がけた逓信省の技師・吉田鉄郎。ストックホルム市庁舎(ラグナル・エストベリ設計)がモデルという館内…
山口県防府市車塚町にある墳丘長53mの前方後円墳が、車塚古墳。天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ/車塚妙見神社)の境内にあり、墳丘くびれ部を削平して社殿が建っています。埋葬施設は後円部・前方部に各1基の横穴式石室があ…
神奈川県川崎市多摩区東生田1丁目、生田緑地の北端にある横穴墓群が、生田長者穴横穴墓群(いくた ちょうじゃあなよこあなぼぐん)。飯室山の北麓に築かれた横穴墓群で、昭和42年、住宅開発前の調査で3つの小さな谷に、合計32基に…
山口県山口市上宇野令、標高338mの鴻ノ峰に築かれた中世の山城が、高嶺城(こうのみねじょう)。西の京として繁栄した大内氏ですが、戦国時代にはその権勢にも陰りを見せ、大内義長(おおうちよしなが)が山麓の居館に対し詰めの城と…