比叡山延暦寺・根本中堂
世界文化遺産にも登録される延暦寺は、788(延暦7)年に最澄(さいちょう)が開いた天台宗の総本山。琵琶湖と京都の間にそびえる比叡山(848.1m/大比叡)の山上に「三塔十六谷」と称する寺域が広がっています。創建以来120…
世界文化遺産にも登録される延暦寺は、788(延暦7)年に最澄(さいちょう)が開いた天台宗の総本山。琵琶湖と京都の間にそびえる比叡山(848.1m/大比叡)の山上に「三塔十六谷」と称する寺域が広がっています。創建以来120…
前田利家の次男、前田利政を祖とする前田土佐守家(まえだとさのかみけ)が代々所蔵していた資料約9000点を収蔵展示するのが前田土佐守家資料館。武具や利家の正室まつの直筆書状などが展示されています。土佐守家は加賀藩の重臣とし…
日本海に臨む標高482mの角田山から派生する尾根の末端、角田岬に建つ白亜の灯台が角田岬灯台。灯高は12.57m。海面から塔火部分までは49.69mもあります。角田浜駐車場から人道トンネルを抜け崖伝いに階段を登ると灯台に到…
「日本の滝百選」に選定される乙字ヶ滝(おつじがたき)の滝横、滝見不動堂近くには、芭蕉句碑と芭蕉と曽良の石像が配されています。滝見不動堂は、空海創建という伝承が残る歴史ある堂で、江戸時代には藩主が滝見に訪れる場にもなってい…
甲子旭岳に源を発する阿武隈川の本流に懸かる滝で、「日本の滝百選」のひとつ選定の名瀑が乙字ヶ滝(おつじがたき)。白河盆地と須賀川盆地の境にある渓流に落ちる滝で、落差は6mほどですが川幅いっぱいに懸かるため豪快。乙の字をなし…
月山8合目の月山弥陀ヶ原(がっさんみだがはら)は標高1450m(月山高原ラインの駐車場は1380m)。本来なら森林帯(亜高山帯下部)にあたる標高ですが月山では森林限界の上。冬の豪雪と夏まで残る残雪が美しいお花畑を生みだし…
出羽三山詣(でわさんざんもうで)での宗教登山で古来からにぎわいをみせる山形の名山が月山(がっさん/標高1984m)。山頂一帯は磐梯朝日国立公園の特別保護地域となっています。月山8合目の弥陀ヶ原(みだがはら)まで車道(月山…
最上川の本流に落ちる白糸の滝は、『奥の細道』途中の芭蕉も舟下りの舟の中から眺めた景勝地。「五月雨を集めて早し最上川」は、芭蕉が舟下りで詠んだ名句で、『奥の細道』には、「白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂、岸…
日本三大急流に数えられる最上川は、舟運に利用され、江戸時代には、紅花など、流域の特産品を運び出していました。芭蕉が『奥の細道』で川下りをしたことでも知られ、「五月雨を集めて早し最上川」の名句を詠んでいます。最上川芭蕉ライ…
史実では奥州藤原氏の居館・衣川館(ころもがわのたち/岩手県平泉町)で最期を遂げた源義経ですが、津軽海峡を渡り蝦夷地(北海道)へ落ち延びたという『義経北行伝説』が北東北から道南にかけて残されています。龍飛崎付近の青森県三厩…
象潟(きさかた)にある曹洞宗の寺、蚶満寺(かんまんじ)。853(仁寿3)年、円仁(慈覚大師)の開創と伝えられる古刹。1689(元禄2)年に『奥の細道』途中の芭蕉が、1784(天明4)年には菅江真澄が立ち寄っています。菅江…
江戸時代の俳人・松尾芭蕉が紀行文『奥の細道』に記した最北の地が、にかほ市象潟(きさかた)町の九十九島(くじゅうくしま)。かつて象潟周辺には、鳥海山の噴火による山体崩壊で日本海に流れ出た流山。のちにそれが入江となって、潟湖…
関門海峡、壇之浦に臨むのがみもすそ川公園。平家滅亡の舞台となった壇之浦合戦では、御裳川(みもすそがわ)沖は、幼帝・安徳天皇が入水した場所でもあるのです。関門海峡の最狭部に位置する一帯は公園となって関門橋(かんもんきょう)…
703(大宝3)年に利修仙人(りしゅうせんにん)が開山したと伝えられる古刹、鳳来寺(ほうらいじ)。真言宗五智教団(しんごんしゅうごちきょうだん)の本山で、文治年間(1182〜1189年)に源頼朝が堂宇を建立、鎌倉時代には…
3代将軍・徳川家光が造営を発願して創建されたのが鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)。完成は1651(慶安4)年、4代将軍・徳川家綱の時代で、日光東照宮を模して建てられた本殿は、江戸初期の建築法を残す貴重なものとし…
741(天平13)年に聖武天皇が諸国に造営を命じた国分尼寺のひとつ。当時の仏教は国教で、寺も国営の寺院。正式名は法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、讃岐国分寺の北東2kmに位置しています。東西180m~21m、南…
筑波山神社は筑波山をご神体として祀る山岳信仰の霊場。祭神となる筑波山の中腹にあり、登山道の起点ともなっています。双耳峰である筑波山山頂の男体山には筑波男大神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、女体山には筑波女大神の伊弉冉尊…
和歌浦に鎮座する玉津島神社。社伝では神功皇后(じんぐうこうごう)の紀伊進軍の際、玉津島神の加護を受けたことから分霊を勧請して創建したという古社。724(神亀元)年、聖武天皇の和歌浦行幸の際に、風光明媚な土地に創建を命じた…