唐招提寺・南大門
唐招提寺南大門は開祖・鑑真和上1200年遠忌を機として、昭和37年に天平様式で再建されたもの。五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。南大門をくぐると正面に金堂(国宝)、その背後に講堂(国宝)があります。かつては南大…
唐招提寺南大門は開祖・鑑真和上1200年遠忌を機として、昭和37年に天平様式で再建されたもの。五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。南大門をくぐると正面に金堂(国宝)、その背後に講堂(国宝)があります。かつては南大…
唐招提寺舎利殿(鼓楼)の東に建つ2つの校倉は北側が宝蔵、南側が経蔵でともに天平時代に建てられたものが現存し、国宝に指定されています。とくに経蔵は、唐招提寺創建以前、新田部親王(にいたべしんのう)の邸宅だった頃の遺構(米倉…
唐の高僧・鑑真和上が聖武天皇に招かれ、難行苦行の末にようやく来日、東大寺で多くの高僧に受戒していますが、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)旧邸跡に唐招提寺を創建。講堂は平城宮朝堂院の東朝集殿(ひがしち…
律宗の総本山が唐招提寺。金堂は古代寺院における本堂を表す呼び名。唐招提寺の金堂は、奈良時代建立の建物で金堂としては現存唯一する奈良時代の建物。もちろん国宝に指定されています。平成の大修理も終わり、往時の姿を取り戻していま…
728(神亀4)年、聖武天皇が皇太子である基親王(もといしんのう)供養のため建立した金鍾山寺(きんしょうさんじ)が東大寺の始まり。741(天平13)年に聖武天皇が国分寺建立の詔を出した際に、金鍾山寺を大和国分寺として金光…
薬師寺は680(天武天皇9)年、藤原京に天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ=のちの持統天皇)の病気平癒のため発願し創建された法相宗の寺で、平城京遷都とともに奈良に移されたもの。日本に仏教が伝えられた時代のままの…
薬師寺の南大門を出たすぐ南に鎮座するのが休ヶ岡八幡宮で、薬師寺を守護する鎮守社。寛平年間(889年~898年)、薬師寺別当栄紹が宇佐八幡宮から分霊を勧請して創建されたという古社で、今なお神仏混淆時代の名残があります。祀ら…
薬師寺の白鳳伽藍の北側、写経のできる写経道場、本坊事務所のさらに北側にあるのが玄奘三蔵院伽藍(げんじょうさんぞういんがらん)。玄奘三蔵は、『西遊記』で有名な三蔵法師のこと。玄奘三蔵の究めた瑜伽唯識(ゆがゆいしき)の教えを…
薬師寺西塔は、1528(享禄元)年の兵火により焼失、礎石のみが残されていたものを昭和56年に453年ぶりに再建。国宝の東塔とほぼ同じ形で、白鳳様式を用いて建てられています。よく見ると東塔は裳階(もこし=軒下壁面に付いた庇…
薬師寺・東塔は、730(天平2)年に造営されたと伝わる三重塔。高さ33.6mで各層に裳階(もこし)を付けているため六重に見えるのが特徴。薬師寺は、数度の災害と1528(享禄元)年の兵火により多くの堂宇は焼失していますが、…
薬師寺の東院堂は養老年間に吉備内親王(きびないしんのう)が平城京に遷都した女帝・元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈り建立したもの。境内東側、東回廊の外に位置しています。973(天禄4)年の火災で焼失後、1285(弘安…
薬師寺の金堂、大講堂、西塔、東塔を取り囲むのが東西の回廊。薬師寺式と呼ばれる伽藍配置は白鳳時代そのままなのです。回廊のエンタシス風の列柱はヘレニズム文化の影響を残したものともいわれてきましたが、現在では否定的な意見が多い…
平成15年3月に四百数十年ぶりに奈良、薬師寺に復興したのが大講堂。正面41m、奥行き20m、高さ17mという巨大な建物で、薬師寺の中では最大の建造物。大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、講堂にはたくさんの学僧が参…
世界遺産「古都奈良の文化財」に登録される薬師寺の伽藍のうち、昭和51年に再建された白鳳伽藍の一部が金堂。金堂は1528(享禄元)年、土地の豪族の戦火で焼失。豊臣秀吉が再建を計画しましたが叶わず、復興は長年の悲願だったもの…
奈良時代に唐から苦難の末に来日した鑑真(がんじん)が開いた古刹、唐招提寺(とうしょうだいじ)。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産でもある唐招提寺で、除夜の鐘を撞くことができます。
728(神亀5)年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が始まりという東大寺。743(天平15)年、聖武天皇の大仏建立の詔により造られた「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする東大寺ですが、そ…
奈良の大仏と呼ばれ親しまれている、銅造の盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)。華厳経の本尊で、743(天平15)年に聖武天皇の勅願により鋳造されたもの。東大寺の本尊にもなっています。752(天平勝宝4)年の開眼で国宝に指定…
東大寺の大仏殿(金堂)の前に配されているのが金銅八角灯籠。見逃しがちな灯籠ですが、実はこの灯籠、大仏開眼と同じ年、752(天平勝宝4)年の鋳造と推測され、国宝に指定されているのです。