佐用城(福原城)
兵庫県佐用郡佐用町(さようちょう)にある中世の城跡が佐用城(福原城)。建武年間(1334年~1338年)に佐用範家(さようのりいえ)が築城した平山城。赤松氏36人衆のうちの福原氏が城主となったため福原城とも呼ばれています…
兵庫県佐用郡佐用町(さようちょう)にある中世の城跡が佐用城(福原城)。建武年間(1334年~1338年)に佐用範家(さようのりいえ)が築城した平山城。赤松氏36人衆のうちの福原氏が城主となったため福原城とも呼ばれています…
兵庫県姫路市御国野町御着にある中世の城跡が御着城(ごちゃくじょう)。茶臼山城とも呼ばれた中世の城で、永正16年(1519年)、姫路城代・小寺政隆(こでらまさたか)が築城し、赤松氏の一族小寺氏の居城となり、別所氏の治める三…
兵庫県伊丹市宮ノ前にある古社が猪名野神社(いなのじんじゃ)。孝徳天皇の御代に猪名寺(いなでら=現・尼崎市猪名寺にあった寺、猪名寺廃寺跡が現存)に創建され、延喜4年(904年)に現在地に遷座したと伝えられています。戦国時代…
兵庫県伊丹市のJR福知山線・伊丹駅近くにある戦国時代の城跡で、国の史跡になっているのが有岡城跡(伊丹城跡)。南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって築城された伊丹城が前身。戦国時代、織田信長に突如反旗を翻した荒木村重(あらき…
佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して築かれた巨大な城郭、名護屋城の周囲に布陣した諸将ですが、それぞれ石垣を築いて陣屋を構えています。堀秀治陣跡(ほりひではるじんあと)は、現在確認される130あまりの陣跡のうちでももっ…
佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、外征基地として築かれた巨大な城が名護屋城。本丸の南側に帯曲輪(おびくるわ)的に配されているのが馬場です。本丸、三の丸の守備という役割をも有していたため櫓も建てられ、櫓台の石垣が残さ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。南西側、搦手口(裏門)に位置する曲輪(くるわ)が弾正丸(だんじょうまる)。豊臣政権・五奉行の浅野長政(官位は弾正少弼・だんじょ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。天草・島原一揆(島原の乱)で、一揆軍が廃城となっていた原城に籠城したことから、名護屋城も徹底的に破却されましたが、本丸旧石垣は…
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。当時、大坂城に次ぐ巨城でしたが、本丸の北西、二の丸の北に配された曲輪(くるわ)が遊撃丸。眼下に船手口があり、朝鮮の役の講話の際に、明国側講話使節(遊撃将…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。豊臣秀吉の居館があった山里丸側にあった登城口が山里口(山里丸虎口)です。名護屋城下では当時盛んに茶の湯や能、歌会が催されていましたが、その中心的存在だっ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。当時、大坂城に次ぐ巨城でしたが、本丸の西に配されているのが二の丸です。武器、兵糧などを保管する建物があったと推測される曲輪(くるわ)で、長屋建物(掘立柱…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。三の丸からの入る本丸の玄関口にある最後の関門が本丸大手門。大手口→東出丸→三の丸→本丸大手門と登城し、到達することができます。…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。本丸を守る重要な曲輪が三の丸。大手口→東出丸→三の丸と登城し、到達することができます。馬場を通じて本丸を隔てた反対側に位置する…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。正面玄関にあたる大手口からまっすぐ続く登城坂を上ると、右手に広がるのが東出丸。地元で千人枡と呼ばれる曲輪(くるわ)です、大手口…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。佐賀県立名護屋城博物館前にある駐車場から観光案内所を通り、名護屋城へと入る部分が、城の正面玄関にあたる大手口。大手口を起点に南…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた名護屋城。上杉景勝の陣跡にぴたりと寄り添うかのように残されているのが、直江兼続陣跡(なおえかねつぐじんあと)です。その縄張りなどから、景勝の家臣である直江兼続の陣屋も13…
佐賀県唐津市相知町(おうちちょう)、東松浦半島の北波多地区、標高320mの岸岳山頂にあった中世の城跡が岸岳城(きしたけじょう)。別名岸嶽城、鬼子岳城とも呼ばれ、松浦党の中心的存在だった波多氏の拠点。平安時代末期から鎌倉時…