道の駅にしお岡ノ山
名古屋と東三河を結ぶ高規格道路・国道23号(名豊道路)岡崎バイパス沿い(小島江原IC出口近く)にある道の駅で高さ20mの風力発電装置「風の塔」が目印。西尾市特産の抹茶・抹茶関連コーナー、海産物など地元の特産品を販売するコ…
名古屋と東三河を結ぶ高規格道路・国道23号(名豊道路)岡崎バイパス沿い(小島江原IC出口近く)にある道の駅で高さ20mの風力発電装置「風の塔」が目印。西尾市特産の抹茶・抹茶関連コーナー、海産物など地元の特産品を販売するコ…
伊勢湾最奥部、庄内川、新川、日光川の河口部分に位置する238ha(東京ドーム50個分)という広大な干潟(ひがた)が藤前干潟。シギ・チドリ類、カモ類など鳥類172種、貝、カニ、ゴカイなどの底生生物174種が観察されています…
第二次世界大戦さなかの昭和20年1月13日3:38に発生した三河地震の痕跡が、愛知県額田郡幸田町深溝(こうたちょうふこうず)に残される深溝断層(ふこうずだんそう)。三ヶ根山(さんがねさん)と遠望峰山(とぼねやま)に挟まれ…
愛知県江南市にある知る人ぞ知るコンクリート製の大仏。昭和24年、名古屋市できゅう師を営んでいた前田秀信が夢告を受けて建立した薬師如来坐像で、実は個人の所有で住居一体型というユニークな構造になっています。昭和29年完成の大…
名古屋市千種区にある曹洞宗の寺、桃巌寺(とうがんじ)。室町時代の天文年間(1532年〜1555年)、末森城主・織田信行(織田信長の弟)が父・織田信秀の菩提を弔うために、愛知郡鳴海荘末森村二本松(現在の千種区穂波町付近)に…
愛知県東海市の市役所の北側に広がる大田大池を中心とした緑地公園が大池公園。遊戯広場、芝生広場、梅林の丘、展望台、多目的広場、竹のある丘、花しょうぶ園、展望の丘、芝生の山、彫刻の広場、池の見える丘などが整備されています。
愛知県東海市の聚楽園大仏の建つ一帯は、大正5年に名古屋の実業家・山田才吉が観光開発を始めた一画。当時は料理旅館などがあり、風光明媚な場所でしたが、公園の西側が臨海工業地帯になった現在では、市民の健康維持にお役立ちのトリム…
愛知県東海市の聚楽園公園(しゅうらくえんこうえん)にある大仏が聚楽園大仏。大正5年に実業家・山田才吉が聚楽園を開園し、昭和2年5月21日に聚楽園大仏の開眼供養を行なっています。当初は、白毫にサーチライトが仕込まれ伊勢湾を…
豊川稲荷の名前で知られていますが、正式名称は妙厳寺(みょうごんじ)という曹洞宗(禅宗)の寺。豊川稲荷は、1441(嘉吉元)年に東海義易(とうかいぎえき)禅師が妙厳寺を建立した際に、鎮守として豊川荼枳尼真天(とよかわだきに…
新城市鳳来地区の北、国道257号沿いにある設楽町役場から県道427号を東栄町方面に走った長江地区にある棚田。秘境と呼ばれるような山奥にあるため訪れる人も稀な棚田ながら「日本の棚田百選」の一つに選定されています。
矢作川の水を当時荒れ野だった安城が原(碧海台地)に引き入れるという目的で碧海郡和泉村の豪農・都築弥厚(つづきやこう)が1808(文化5)年頃に幕府に計画を嘆願した用水が明治用水のルーツ。愛知県安城市にある明治川神社は用水…
長野県と三河を結ぶ塩の道・中馬街道。その難所が稲武と足助の間に立ちはだかる伊勢神峠越えです。現在の国道153号は昭和35年に開通した新伊勢神トンネルを抜けますが、その足助側の入口にある「ドライブイン伊勢神」脇の旧道に入る…
今や三河の名所として多くの人が参詣するのが「ガン封じ寺」として有名な西浦不動・無量寺(真言宗醍醐派/蒲郡市西浦町)。平安開基の古刹で、御本尊の西浦不動(秘仏)は、古来から厄除け、ガン封じの不動様として注目されています。秘…
名古屋市制100周年を記念して東山公園に併設して建てられた地上134mの展望タワー。標高80mの丘の上にあるため、標高では塔頂部が214mとなります。展望室までの2基のエレベーターはシースルータイプ。防災無線の中継基地と…
平成17年9月に「棚田(千枚田)サミット」が開かれた新城市鳳来地区(旧鳳来町)。新城市鳳来地区の北端に位置し、鞍掛山(883.0m)の山麓近くに広がる棚田が四谷の千枚田。飯田線本長篠駅前から県道32号を設楽町方面に北上し…
7月の『津島天王祭』で有名で、全国に3000社ある天王社の総本社・津島神社の横にある公園。大正9年に佐屋川の支流・天王川の名残りの池を中心に開設された公園です。舟運が盛んだった時代には津島湊(つしまみなと=川湊)として尾…
愛知県津島市に鎮座する津島神社は、社伝によれば540(欽明天皇1)年創建という古社で全国に3000ある天王社(牛頭天王・スサノオノミコトを祭神とする祇園信仰の神社)の総本社。祭神は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこ…
東海道で唯一現存する旅籠(はたご)「大橋屋」(街道時代の屋号は「伊右エ門鯉屋」)が残るのが赤坂宿。大火後の1733年(享保18年)時点で赤坂宿には83軒の旅籠がありましたが、大橋屋は大旅籠に属する部類。間口23間、奥行き…