馬籠峠
岐阜県中津川市と長野県木曽郡南木曽町との境にある標高790mの峠が馬籠峠(まごめとうげ)。中山道(なかせんどう)の馬籠宿(まごめじゅく/中津川市)と妻籠宿(つまごしゅく/南木曽町)の間の峠ですが、もともとはともに信州(長…
岐阜県中津川市と長野県木曽郡南木曽町との境にある標高790mの峠が馬籠峠(まごめとうげ)。中山道(なかせんどう)の馬籠宿(まごめじゅく/中津川市)と妻籠宿(つまごしゅく/南木曽町)の間の峠ですが、もともとはともに信州(長…
岐阜県岐阜市にある、岐阜市営の施設が岐阜市科学館。「岐阜のゆたかな自然を学ぶ」、「身近に起こる現象を学ぶ」、「優れた科学技術を学ぶ」、「地球のしくみを学ぶ」、「宇宙のしくみと歴史を学ぶ」、岐阜プラネタリウムで活躍したカー…
岐阜県岐阜市、岐阜市街の中心、長良川の南に聳える標高328.8mの山、金華山(きんかざん)。かつては稲葉山と呼ばれていた山は濃尾平野を一望にする天然の要害で、中世には稲葉山城が建っていました。岐阜公園から、ぎふ金華山ロー…
岐阜県岐阜市、金華山の西麓、岐阜公園内にある歴史博物館が岐阜市歴史博物館。金華山と長良川流域の人々の生活、歴史文化を紹介するミュージアムです。2階の常設展示室では、「ぎふ歴史物語」と題して原始・古代から戦国時代の歴史に関…
岐阜県岐阜市、金華山の山麓、岐阜公園内にある現存する日本最古の昆虫専門のミュージアムが名和昆虫博物館。明治16年にギフチョウを発見した昆虫学者の名和靖(なわやすし)が、明治29年、名和昆虫研究所を創立。大正8年の開館時に…
岐阜県岐阜市加納丸の内にある徳川家康による天下普請(てんかぶしん)によって築かれた平城で、加納藩の藩庁が加納城(かのうじょう)。関ヶ原の合戦の前哨戦で岐阜城が落城し、廃城となると徳川家康は山城で攻めにくい岐阜城に代わって…
岐阜県岐阜市内を流れる長良川には昭和初期まで12の渡しがありましたが、現存するのは岐阜市一日市場と鏡島の間、120mを結ぶ小紅の渡し(おべにわたし)のみ。現在は岐阜県道173号(文殊茶屋新田線)の一部で、渡し船も県道の扱…
岐阜県山県市(やまがたし)を流れる円原川(えんばらがわ)は、円原川の伏流水(円原の伏流水)として、岩間からこんこんと湧き出ること清冽な水で有名ですが、夏の朝を中心に、川霧のなかに光芒(こうぼう)という幻想的な光景を目にす…
岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合にある茶畑が上ヶ流茶園(かみがれちゃえん)。その茶畑を東側の尾根から眺めるのが天空の遊歩道です。養老鉄道の終点、揖斐駅(いびえき)の西山中、標高200mから380mの高台で茶畑が築かれ、「天空…
岐阜県下呂市にある古社が久津八幡宮(くづはちまんぐう)。三間社流造りの本殿は、室町時代の応永19年(1412年)、飛騨を領有した白井太郎俊国の再建。拝殿は、戦国時代末の天正9年(1591年)、飛騨国を下剋上で領有した三木…
木曽川本流が木曽谷から流れ出る中流部、現在の岐阜県恵那市、中津川市(旧蛭川村)に大正11年に着工、大正13年に完成した大井ダム。後に電力王として知られる福沢桃介率いる大同電力が築いたダムで、日本最初のダム式発電所、そして…
大正9年に地理学者で『日本風景論』の著者として知られる志賀重昴(しがしげたか)によって命名された恵那峡。その後大井ダムの完成で、ダム上流の湖を遊覧船で探勝できるようになり、恵那峡の渓谷美が堪能できるようになったのです。東…
岐阜県中津川市と恵那市を流れる木曽川の峡谷が恵那峡。大正9年に地理学者で『日本風景論』の著者として知られる志賀重昴(しがしげたか)によって命名された恵那峡。大井ダムの上流12kmにわたる木曽側が生み出した峡谷で、両岸には…
長野県木曽郡木祖村の鉢盛山(2446m)を源流に、木曽谷を南下し、濃尾平野を流れて伊勢湾に注ぐ長大な河川が木曽川(きそがわ)。幹川流路延長は229kmで、日本第7位、流域面積9100平方キロは日本第5位の河川です。下流で…
岐阜県飛驒市古川町にあるJR東海・高山本線の駅が飛騨古川駅。昭和9年、高山本線の飛驒小坂〜坂上間開通と同時に開業した歴史ある駅です。世界的な大ヒットとなったアニメ映画『君の名は。』(平成28年公開、新海誠監督)に登場する…
岐阜県中津川市、中山道江戸から数えて44番目の宿場で、美濃路(現在の岐阜県南部)の入口に位置したのが落合宿です。その落合宿では本陣遺構が現存。美濃十六宿の最初の宿場で、落合宿本陣は美濃路でも唯一現存している本陣遺構で、毎…
岐阜県中津川市にあった中世から近世の山城が苗木城(なえぎじょう)。天文元年(1532年)、美濃国岩村城主・遠山景前(とおやまかげさき)の弟、遠山直廉(とおやまなおかど)が木曽川に臨む標高433mの高森山(通称:城山)に築…
岐阜県中津川市、中山道馬籠宿から落合宿に向かう途中の難所が十曲嶺(とまがりとうげ)。地元では十石峠とも呼ばれた場所で、街道時代には峠を石畳の道で越えていました。これが中山道落合の石畳。明治以降、荷馬車が通りやすいように石…