平和大通り
広島県広島市、広島市街を東西4kmに渡って横断するメインストリートが、平和大通り。第2次世界大戦末期に軍都・広島で、空襲による延焼を防ぐ目的に建物を強制移転(「建物疎開」)して設けられた防火帯が前身。日本に3ヶ所しかない…
広島県広島市、広島市街を東西4kmに渡って横断するメインストリートが、平和大通り。第2次世界大戦末期に軍都・広島で、空襲による延焼を防ぐ目的に建物を強制移転(「建物疎開」)して設けられた防火帯が前身。日本に3ヶ所しかない…
広島県東広島市にある古墳群が、国の史跡となる三ツ城古墳(みつじょうこふん)。三ツ城古墳の1号墳は、墳丘長92mの前方後円墳で、広島県下最大の古墳です。須恵器のうちでも初期のTK73型式が出土することから、5世紀前半の築造…
広島県広島市を走る広島高速交通の自動案内軌条式旅客輸送システム(AGT) 路線がアストラムライン。日本語の「明日」に英語の「Tram」(路面電車)の造語で(未来型軌道線の意)、正式名は広島高速交通広島新交通1号線。本通駅…
広島県広島市の広島駅、広島港、広電西広島などを起終点に軌道線(市内線)6路線、広電宮島口駅への鉄道線(宮島線)を運行するのが広島電鉄。そのうち広島電鉄軌道線は、本線(5.5km)、宇品線(5.7km)、江波線(2.6km…
広島県神石郡神石高原町、帝釈峡ダムのダム湖、神龍湖の湖岸を歩く帝釈峡探勝遊歩道に架る橋が桜橋。大正12年の帝釈峡ダムの建設にあたって、山陽中央水電(現・中国電力)の人道として昭和11年に竣工した鋼製アーチ橋で、現在では帝…
大正13年の帝釈川ダムの完成により、神龍湖が出現。その神龍湖の湖上、広島県庄原市東城町と神石郡神石高原町を結ぶ赤い橋が神龍橋(旧紅葉橋)。昭和5年に広島県道25号(三原東城線)に道路橋として架けられた橋で、レトロな橋は、…
広島県庄原市の東部にある標高815mの自然の山が、葦嶽山(あしたけやま)。どの方向から眺めてもピラミッド型の山容で、昭和9年に酒井勝軍(さかいかつとき)が古代のピラミッドと主張したことから、「日本のピラミッド」とも呼ばれ…
広島県安芸太田町中筒賀にある往時の駅跡が可部線田之尻駅跡(かべせんたのしりえきあと)。田之尻駅は、昭和31年11月19日に田ノ尻仮乗降場として開業した駅ですが、平成15年12月1日、JR可部線非電化区間(可部駅〜三段峡駅…
広島県広島市佐伯区にある可部線の可部線水内駅跡(かべせんみのちえきあと)を利用した公園が水内駅公園。水内駅は、昭和29年3月30日の可部線開通時に開業した駅ですが、平成15年12月1日、可部線非電化区間(可部駅〜三段峡駅…
広島県安芸太田町加計にある旧加計町の中心駅だったのが可部線加計駅跡。加計駅は、昭和29年3月30日の可部線開通時に開業した駅ですが、平成15年12月1日、JR可部線非電化区間(可部駅〜三段峡駅間)の廃線に伴い廃止になって…
広島県安芸太田町にある可部線安野駅跡一帯を再生したのが安野花の駅公園。昭和29年3月30日の可部線開通時に開業した駅ですが、平成15年12月1日、JR可部線非電化区間(可部駅〜三段峡駅間)の廃線に伴い廃止になっています。…
広島県山県郡安芸太田町を流れる太田川に架る橋が程原橋(ほどはらばし)。洪水時には水中に没するという沈下橋(潜水橋)で、「人及び自転車、電動カーまで通行可能」という表示のある歩行者専用橋です。延長は150mあり、増水時(程…
広島県呉市上長迫町にある、明治23年に戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設された帝国海軍の海軍墓地が旧呉海軍墓地(長迫公園)。富国強兵政策で、明治22年に呉に置かれたのが海軍の鎮守府で、その創立に伴って、墓地も整…
広島県呉市安浦町の安浦漁港(三津口)沖にある防波堤が、コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)。第二次世界大戦の最中、帝国海軍所属の貨物船として建造された2隻のコンクリート船、「第一武智丸」、「第二武智丸」を終戦後に防波堤…
戦前は海軍の街、そして日本一の海軍工廠の街として発展した広島県呉市。そのシンボル的な存在が旧呉鎮守府庁舎(海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)。明治40年に建てられたレンガと御影石(みかげいし)の美しい建物で、日曜日などに限…
広島県呉市光町にあるタンカーなどの商船を建造する造船所、船渠(せんきょ=ドック)がジャパンマリンユナイテッド呉事業所。現存する大屋根は戦艦「大和」を造船した旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根です。ドック自体は平成4年に埋め…
広島県呉市宮原にある明治以降の呉の歴史が一望できる公園が歴史の見える丘(昭和57年開園)。戦艦「大和」を建造したドックの上屋である旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根(現・ジャパンマリンユナイテッド呉事業所)、旧呉鎮守府庁舎…
広島県呉市両城にある大正時代末期〜昭和初期に丘陵地の宅地開発で誕生した異色の住宅群が両城の階段住宅。戦前は、日本一の海軍工廠(かいぐんこうしょう/工廠=軍需工場)の街と発展。海軍関係者の住宅需要を前提に、急傾斜地が宅地化…