能登金剛遊覧船
高くそそり立つ鷹の巣岩や巌門、義経と弁慶が囲碁を楽しんだと伝えられる碁盤島など能登金剛のダイナミックな海岸美を海上から探勝するのが能登金剛遊覧船。海上から間近に見る奇岩怪石は、迫力も満点で、荒々しく力強い大自然が満喫でき…
高くそそり立つ鷹の巣岩や巌門、義経と弁慶が囲碁を楽しんだと伝えられる碁盤島など能登金剛のダイナミックな海岸美を海上から探勝するのが能登金剛遊覧船。海上から間近に見る奇岩怪石は、迫力も満点で、荒々しく力強い大自然が満喫でき…
寿永4年(1185年)、奥州・平泉に逃れるため、海沿いに日本海を北上した源義経。能登には、義経伝説が数多く残されていますが、そのひとつが志賀町のヤセの断崖近くにある義経の舟隠し。折からの激しい嵐を避けるため、この入り江に…
松本清張の推理小説『ゼロの焦点』で、事件の発端とクライマックスの場となったのが石川県志賀町、能登金剛の一角にあるヤセの断崖。日本海にせり出すように切り立った絶壁は高さ55m。断崖の突端は危険なので立入禁止となっています。…
能登西海岸でダイナミックな海岸線が続くのが志賀町の能登金剛(のとこんごう)。能登金剛随一の景勝地が巌門(がんもん)です。日本海にせり出た岬の断崖に波と風の浸食で幅6m、高さ15m、奥行60mの貫透洞門が生じたもの。豪快な…
石川県白山市三坂町(旧鳥越村)にある中世の山城が鳥越城(とりごえじょう)。織田信長との対立のなか、加賀一向一揆の拠点として天正年間の初め(1573年)に築城されたもので、天正8年(1580年)、織田方の柴田勝家軍によって…
加賀白山の山麓、白山市には白峰温泉、白山一里野温泉、松任海浜温泉と個性的な温泉が湧いています。白山登山の基地にも絶好で、山上の白山室堂で1泊したのち、後泊を山麓でというのもおすすめです。ここで紹介する2軒は、以前は白山市…
白山を水源とする手取川が流れ、江戸時代まで白山信仰の中心的な地、加賀禅定道の馬場(ばんば)として栄えたのが白山市の白峰地区。冬季は4mもの雪が積もる豪雪地帯です。そんな白峰地区の河岸段丘上形成される集落10.7haが山村…
石川県白山市にある加賀国一之宮が白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。はるか神代の時代から霊峰白山をご神体とし、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ=菊理媛神・くくりひめのかみ)、伊弉諾神(いざなぎのかみ)、伊弉冉神(い…
白山の西麓、豪雪地帯で知られる白山市白峰地区(旧白峰村)にある白峰温泉の総湯(共同湯)。泉質は全国的にも珍しい純重曹泉(ナトリウム-炭酸水素塩泉)で湯上がりの肌が絹のようにツルツルすべすべになることから「絹肌の湯」と呼ば…
白山は、富士山、立山とともに日本三霊山(日本三名山)のひとつ。石川・岐阜県境にそびえ、御前峰(2702.1m)、大汝峰(2684m)、剣ヶ峰(2677m)3つの峰からなる火山です。白山を中心とする面積4万7700haは石…
白山奥宮の建つ白山山頂・御前峰(2702.1m)をすぐ北に仰ぐ、標高2450mの室堂平に建つのが白山室堂ビジターセンター。ビジターセンターとはいうものの、環境省のビジターセンターではなく、白山登山者のための山小屋。2食付…
石川県白山市と金沢市の市境、標高649mの後高山(しりたかやま)の山上部が、獅子吼高原(ししくこうげん)。標高170mの山麓駅と獅子吼高原にある標高630mの山頂駅を結ぶ4人乗りのゴンドラリフトが獅子吼高原ゴンドラです。…
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)のある石川県白山市と金沢市の市境に位置する後高山(しりたかやま)から獅子吼平にかけての高原地帯が獅子吼高原(ししくこうげん)。標高650mの後高山山上の「スカイ獅子吼」までは山麓の「パ…
加賀百万石のシンボル、金沢城は、加賀藩主・前田家の居城。天正11年(1583年)、前田利家により本格的な築城が開始されました。天明8年(1788年)築の石川門、安政5年(1858年)に再建された三十間長屋は、そして鶴丸倉…
石川県七尾市、城山と通称される七尾湾を一望する標高300mほどの尾根上に位置するのが中世の山城、七尾城。七尾という名は、この山城を守る7つの尾根(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)に由来する地名です。城が築かれた…
金沢の犀川の西岸、寺町寺院群にある雨宝院(うほういん)は、奈良時代に白山を開山したと伝えられる泰澄(たいちょう)を開祖とする密教寺院(高野山真言宗)。泉鏡花(いずみきょうか)、徳田秋声(とくだしゅうせい)と並ぶ金沢の三文…
明治32年に金沢市裏千日町に生まれ、大正から昭和にわたり活躍した文豪・室生犀星(むろおさいせい)。犀川に架かる大橋と桜橋の間の川岸は、室生犀星が好み、散策を楽しんだ道といわれ、現在は、「犀星のみち」として、親しまれていま…
金沢城の南西3.5kmの野田山(標高175m)の山腹に広がるのが加賀藩主前田家墓所。天正15年(1587年)、藩祖となる前田利家(まえだとしいえ)が実兄・前田利久(まえだとしひさ)を山頂近くに葬ったのが野田山墓地の始まり…