本家 上時国家

本家 上時国家

時国家は、壇ノ浦の戦いに敗れて奥能登(珠洲)に配流された平時忠(たいらのときただ)の五男・平時国を祖とする名家。近世初期に上時国家、下時国家に分かれ、現在でもほぼ300m離れたところに両家の住宅が残されています。本家 上時国家では21代当主が文化5年(1808年)から28年もの歳月をかけて造らせた豪壮な茅葺き建築が現存。

平清盛の義弟・平時忠の子、平時国を祖とする名家の邸宅

本家 上時国家

建物は、国の重要文化財、そして鎌倉風の池泉回遊式庭園は国の名勝になっています。
江戸初期から300石の豪農として天領大庄屋を務めた家系で、平清盛の義弟・平時忠の子、平時国を祖とするので、時国家と呼ばれ、能登随一の名家となっています。

現存する豪壮な茅葺き建築は、大庄屋様式の公務用の座敷と、私的な部屋の両方が設えてあり、建坪は189坪もあります。
公務用の広間の襖には、平家家紋の「丸に揚羽蝶」が配され、壇ノ浦で滅亡したといわれる平家の正統な末裔であることがわかります。
25代の当主が今も屋敷を守り、私用部分の部屋には大庄屋の公務用品、千石船用品、日用品、初期の輪島塗の漆器など貴重な品々が展示保存されています。

時国家には本家(本家 上時国家)と分家の2軒があり、現地の表示は「上時国家」が本家を指しています。

平時忠の能登国配流
壇ノ浦で幼帝・安徳天皇を抱いて海に身を投げた平清盛の正室(継室=後妻)・平時子。
その弟が平時忠で、平清盛は義理の兄という関係に。
平大納言、平関白と称された地位につき、有名な「平家にあらずんば人にあらず」とはこの平時忠の言葉。
承安4年(1174年)正月、従二位に叙せられたときに「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」と述べたのが、現代語訳で「平家にあらずんば人にあらず」となったもの。
平時忠は、文官として調停との間で奔走し、都の治安維持に手腕を発揮しましたが、ついに壇ノ浦の平家滅亡へと歴史は進みます。
平時忠も壇ノ浦で源義経の軍勢に捕虜されますが、神鏡を守った功績により減刑となり、娘の蕨姫(わらびひめ)を源義経に嫁がせることもあってか能登国流罪に減刑となり、元暦2年(1185年)9月23日、能登へと出立しています。
3年半後の文治5年(1189年)2月24日、平時忠は能登国の配流先で没しています。

能登各地に残される義経伝説ですが、通説では義経は北陸道で加越国境(石川・富山県境)の倶利伽羅峠(くりからとうげ)を越えたとされていますが、この説も『勧進帳』など後世の創作という感は否めず、捕縛後の京での関係から、平時忠の配流先である能登を経由したという可能性も残されているのです。

 

本家 上時国家 DATA

名称 本家 上時国家/ほんけ かみときくにけ
所在地 石川県輪島市町野町南時国13-4
関連HP 本家 上時国公式ホームページ
電車・バスで のと鉄道穴水駅から能登中央バス輪島行きで31分、終点下車、奥能登観光開発バス宇出津駅前行きで35分、上時国下車、すぐ
ドライブで のと里山海道のと里山空港ICから約32km
駐車場 30台/無料
問い合わせ TEL:0768-32-0171/FAX:0768-32-0171
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
取材・画像協力/石川県観光連盟

 

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