岩手サファリパーク
岩手県一関市の郊外、館ヶ森の高原地帯にあるのが岩手サファリパーク。二本松市にある東北サファリパークの運営で、「天空のサバンナ」をコンセプトに平成20年に開園。気候が温暖で雪も少ない土地という利点を活かし、サファリゾーン、…
岩手県一関市の郊外、館ヶ森の高原地帯にあるのが岩手サファリパーク。二本松市にある東北サファリパークの運営で、「天空のサバンナ」をコンセプトに平成20年に開園。気候が温暖で雪も少ない土地という利点を活かし、サファリゾーン、…
「世にも稀なるこの景色」と『げいび追分』に歌われる猊鼻渓を和舟で探勝するのが猊鼻渓舟下り。げいび観光センターから三好ヶ丘にある舟着場を往復するもので往路は渓流の遡上になり、復路が川下りとなります。折り返し点で舟を下船し、…
岩手県一関市にある猊鼻渓(げいびけい)は北上川の支流、カルスト台地を流れる砂鉄川沿いの渓谷で、大正14年に岩手県最初の名勝に指定され、天然記念物にもなる景勝地。猊鼻渓という名は、侵食された鍾乳石の獅子ヶ鼻(猊=獅子のこと…
岩手県気仙郡住田町、釜石線の上有住駅(かみありすえき)の駅前にある鍾乳洞が滝観洞(ろうかんどう)。確認されただけで総延長3635mで、入口から880mのところに高さ60m、周囲50mのホールがあり、大理石の裂け目から落差…
岩手県宮古市にある浄土ヶ浜は、三陸復興国立公園を代表する景勝地。その名は、天和年間(1681年~1684年)に宮古の常安寺の第7世・霊鏡竜湖が「さながら極楽浄土のごとし」と賞讃したことに由来します。夏は海水浴場としても賑…
陸中海岸の「青の洞窟」と異名をとるのが八戸穴。この穴に迷い込んだ犬が、数年後八戸で見つかったという伝承から八戸穴というのが正式名ですが、陸中版青の洞窟として有名に。宮古市にある浄土ヶ浜マリンハウスから船で数分の距離にあり…
太古は珊瑚礁の海だったという岩手県岩泉町にある総延長2万3702mで、日本一長い鍾乳洞が安家洞(あっかどう)。国の天然記念物に指定されるほか、龍泉洞とともに三陸ジオパークのジオサイトにもなっています。観光洞窟として4月中…
岩手県岩泉町、日本三大鍾乳洞のひとつに数えられる龍泉洞(りゅうせんどう)は、洞内の長さは、わかっているだけで3631mで、全体では5000mにも達すると推定されており、「日本の地質百選」、国の天然記念物に指定。地底湖で有…
八幡平(はちまんたい)の頂上近く、標高1400mに湧くいで湯。藤七温泉(とうしちおんせん)は、東北地方の温泉で最も標高が高い場所にあり、湯船から雲海を見下ろすロケーションが自慢。雲上の温泉として知られる藤七温泉彩雲莊の一…
岩手県八幡平市(はちまんたいし)、冬はスキー、夏は避暑地として賑わう八幡平温泉郷の中心に位置する日帰り入浴施設が八幡平温泉館森乃湯。泉質は無色透明な単純硫黄泉で、神経痛、筋肉痛、慢性消化器病などの効能があります。
岩手県八幡平市の東八幡平にある広大な自然公園が岩手県県民の森。沿道に白樺の並木が続き、松川渓谷沿いの360haの広大な敷地にダケカンバやブナの森が広がっています。野鳥の森としても知られ、ホトトギスやミソサザイなどその種類…
八幡平市松尾寄木地区に湧く7ヶ所の湧水群(座頭清水湧水群)の総称で、環境省の名水百選選定の清水が金沢清水。日量3.4万トンという湧水群の中でも最大の水量(毎分40t)を誇る、座頭清水の水は、岩手県内水面水産技術センターの…
2018年夏に放送のJR東日本、『行くぜ、東北。「縁結び」篇』。今回は、女子三人旅ではなく、松岡茉優と男性のカップル。ふたりが歩く美しい杉林は、岩手県八幡平市の桜松神社です。参道の先にあるのが「日本の滝百選」にも選定され…
奥州平泉(岩手県平泉町)、中尊寺の東南にある丘陵地・高館(たかだち)は、兄・源頼朝に追われ奥州へと逃げた源義経が居館としていた場所で、文治5年4月30日(1189年6月15日)、藤原泰衡(ふじわらのやすひら)の急襲を受け…
源義経は、文治5年閏4月30日(1189年6月15日) 、奥州・平泉の衣川館(現・高館義経堂の地)で自刃。ということで岩手県平泉町で5月1日〜5日に開催されるのが恒例の『春の藤原まつり』です。清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代…
明治43年築の旧第九十銀行本店本館を再生し、石川啄木と宮沢賢治が青春を育んだ盛岡の街とふたりの青春時代を紹介する博物館がもりおか啄木・賢治青春館。ふたりはともに盛岡中学の出身。旧第九十銀行本店本館設計者の横濱勉(よこはま…
石川啄木の人となり、文学について顕彰し、資料を保存、収集、公開する盛岡市の記念館で啄木の故郷の渋民に建っています。現在の建物は啄木生誕百年を記念して昭和61年に建設されたもの。石川啄木の直筆書簡やノート、渋民尋常高等小学…
中学時代からの友人である堀合節子と19歳で結婚した石川啄木が、明治38年6月4日から6月25日までの3週間を暮らした家が盛岡市に現存する啄木新婚の家。父母、妹との同居で人生は毎日が貧困との闘いでした。啄木・節子夫妻が質素…